少女の基礎修行・前編




「では、行ってくるんじゃ」


 今日も悟空とクリリンの、早朝牛乳配達が始まった。
 悟空とクリリンは気合を入れ、走っていく。

 天下一武道会。
 国中から武術の達人を集めて、天下一を決めるという大会。
 真面目に修行すれば、それに出れるかもしれないという期待や目標ができて、悟空とクリリンの二人は、がぜんやる気もヒートアップしていた。

 で、一方のは、というと。

「亀仙人さま、私は何をすればいいんでしょう?」
 やっぱり朝早く起き、悟空たちを見送った後、は亀仙人に問う。
 自分には、武術の心得がない。
 天下一武道会に出るつもりも、そこまでの実力を付けられるという自信もなかったが、当面、父の遺言でもある『強くなれ』 に、忠実に生きるつもりだった。
 ここが自分の世界ではないとか、そういう事を考えるよりは、やるべき事、やりたい事をしていた方が張り合いがあるし、何より沈まずにすむ。
 亀仙人は、彼女を見やると、うーんと唸り出した。
「そうじゃなぁ…ふむ。すぐそこに、砂浜があるじゃろう」
 彼が示したのは、彼女がこの世界に現れた場所より、ちょっとだけ奥の白浜だった。
 別段、何の変哲もない浜である。

「昼飯前まで、あの砂浜を行ったり来たりしておれ。ただ歩くだけでよいぞ。時間になったら呼びに来るでな」
「え、あー……あのぉ、歩くだけでいーの?」
「うむ。怠けてはならんがの」
「は、はぁ…」
 亀仙人はそう言い放つと、さっさとカメハウスに戻ってしまった。
 一人取り残されたは、ともかく言われた通りに歩く事にした。
 ちなみに服装は、この世界に来た時には、不思議と普通のズボンとシャツに代わっていた。
 パジャマで眠ってたのに、不思議なトコロ。
 とにかく、修行――いや、歩くのに問題はない。

「さて、と」
 浜から少し離れた木の根元に靴と靴下を脱ぎ、素足になると、ズボンが濡れないようにまくり上げ、亀仙人に言われた通り白浜を行ったり来たりし出した。
(これって、一体何の意味があるんだろ…)
 怪訝に思いながらも、浜を行ったり来たり。
 片道にして、大体三百メートル――いや、四百ぐらいか。
 波に足をすくわれそうになる事も暫し。
(……足が、上手く動かないなぁ)
 砂が思ったより、歩くのに邪魔になるのに気づいた。
 元々、足腰の強い方ではあったと思う。
 クラブ活動の類はしていなかったが、イジメで、”ランドセル十個持ち” なんていうのは毎日の事だったし。
 たかがランドセルと侮るなかれ。
 十個ともなると、腕が抜けるんじゃないかと思う位に重くなるものだ。
 そんな訳で、通常の小学生よりは足腰がしっかりしている――と思う。
 だが、浜を十往復もする頃には、大分息が上がっていた。
 波に足を取られないよう踏ん張らねばならない上、砂に埋もれた足を持ち上げるのは一苦労。
 濡れた砂は、やけに重く感じられる。
 亀仙人が呼びに来る頃合までは、まだまだたっぷり時間がありそうだ。


「キッ……ツゥ〜〜」
 亀仙人が呼びに来た頃には、の足はパンパンになっていた。
 間違いなく、明日は筋肉痛である。
「ほっほっほ、キツかろうて。これは足腰を主に鍛錬するためのもんじゃからの。おぬしなら、一週間もすればさくさく歩けるようになるじゃろ」
「なぁる……」
「お前さんは、力よりもスピード重視じゃな」
 妙な納得をする
 別に武術をたしなんでいた事はないが、亀仙人の言い分が、的を射ている気がするのだ。
「次は、悟空たちと一緒に、勉強じゃ」


 ………勉強。
 これが、勉強??
 仮にも小学校四年の
 題材として出された教科書――要するに国語なのだが、どう考えても保健体育ではと疑いたくなってしまう。
 完全に内容を理解できる訳ではないし、保健体育というよりは……。
 それを、完全な棒読みで読んでく悟空も悟空だが。
 まあ、これに関しては(国語はともかく)悟空もクリリンも、彼女に敵わない。
 算数だろうが何だろうが。
 勉強が得意だったわけじゃないが、彼ら二人に比べたら問題なし。


 悟空たちが午後の修行をしている間、に出された課題は……。
「ま、まき割り?」
「そうじゃ。まあ素手でとは言わん。そこにある斧でやっとくれ。これ全部じゃぞ」
 全部………十か、十五。
 しかも、どれもこれも太いのなんの。
「今日はこれが終わったら、終いじゃ。明日から、割るまきを一本ずつ増やしていくでな。早くコツをつかむ事じゃ」
 言い終わると、ほっほっほと笑って、またカメハウスの中へ入っていってしまった。
 ………まき割り……。
(多分これは……腕の力をつけるため、でしょ、うん)
 勝手に納得し、まきを一本ずつ割り始める。
 が、上手く中心から割れてくれない。
 斧を持つ位置が悪いのかと悪戦苦闘しながら、何度も何度も繰り返す。
 適度な大きさに割られたまきを、四等分に。
 その四等分を、更に二等分。
 ………細かくなっていくにしたがって、神経を使い出す。
 時間が経つにつれ、腕が重くなり、足腰が疲れてくる。
「うぅ…っ」
 斧を振り上げ、すっぽ抜けてしまったり。
 とにかく、振り上げるという動作すら厳しくなってきてしまった。
(だめだ、持ち上げる腕に集中するから、きつくなるんだ)
 きゅっと口唇を結び、まきを割るその一点にのみ集中し、振り下ろす瞬間にだけ腕の微妙な修正を行う。
 今まで歪んで割れていたそれが、スパっと真ん中から綺麗に割れた。
「あ、あはは……割れた…割れたっ!!」
 一人できゃいきゃい騒ぐの姿を、カメハウスの中から亀仙人が笑みを浮かべて見ていた。



 一週間。
 悟空たちが牛乳配達を毎日毎日しているように、も毎日毎日同じ事を繰り返していた。
 二週間が経ち、今日も浜を素足で歩いていた彼女に、亀仙人が近づいてきて呼び戻す。
、ちょっとこっちへ来るんじゃ」
「はぁい」
 元気よく返事をし、靴と靴下を持って亀仙人のところへ走っていく。
 側によってきたに、亀仙人は言った。
「さて、あれから二週間目じゃが、どうじゃ?」
「どうって…うーん、普通です」
「砂歩きは、きつくなくなったかの?」
「あ、はい」
「まき割りも、苦もなく出来るようになったようじゃしの」
 足腰が鍛えられたのか、手元が狂う事もなくなり、斧の重みに耐えかねることもなくなっていた。
 かといって筋肉がついたかと言われれば、そうでもなさそうなのだが。
「砂歩きは足腰を鍛えるため。まき割りは、全身の筋肉を使うためと、集中力を養うための、修行じゃった」
「そうなんですか!?」
 足腰鍛錬は聞いていたから分かったが、他は…そこまでの意味があったとは。
 やっていても、案外気づかないものである。
 まあ、まき割りは筋力強化のためかとは思ったが。

 亀仙人はサングラスをしっかりかけなおすと、に笑いかけた。
「今までやって来たことは、皆、基礎中の基礎じゃ。悟空らと違って、おぬしは武道初心者じゃからの」
「で、これからも続けるんですよね? あれ」
「そうじゃ。じゃが、今日からもう一つ付け加える」
「?」
 が疑問符を飛ばすと、亀仙人は彼女を近くの切り株の上に立たせた。
 少々面積が狭い。片足が半分出るぐらいの大きさである。
「あの、何するんでしょう?」
「そこで、片足で立って、目を閉じるんじゃ」
「へ?」
 いいからやってみろと言われ、慌てて右足を軸にして立った。
 左足は曲げて、両手でバランスを取っている。
 だが目を閉じているせいもあり、平衡感覚がなくなってしまって、あっというまに切り株の上から、転げ落ちてしまった。
「これを、一時間続けられるようになるんじゃ」
「ええええ!? いち、一時間!!??」
「これをやる時は、わしはしっかり見ておるからの」
「う、わぁ……が、がんばります…」
 びびる割に、返事は素直だった。




2003・4・15