知らない世界



「じっちゃーん! 亀仙人のじっちゃーん!!」

 二階建ての家の中にズカズカ入って、『じっちゃん』を連呼する悟空。
 その家の外で、は家の概観を仰ぎ見ていた。
 ……何となくだが、見覚えがある。
 気のせいだろうか?
 夢のどこかで、見たことがあるのだろうか?

 ぽやっとしていると、悟空がひょこっと顔を出した。
「おいー、早く来いよ」
「う、うん」
 ……会ったばかりなのに、旧友のように接してくれる彼に、嫌気どころか嬉しさを感じつつ、家の中へと入った。

「お邪魔しまぁす…」
 悟空の誘導に従い、ドアをくぐると、リビングに到着した。
 入るなり目にしたのは、ソファに少々ぐったりとしている二人の男。
 一人は悟空が 『じっちゃん』 と呼んでいる事から、多分亀仙人と呼ばれる人だろうが、もう一人の坊主頭君は……。
 よく見ると、テーブルの上には、胃薬やら漢方薬らしきものやら、色々置いてあるし。
 むしろ、散乱してるし。
 悟空は元気よく、『じっちゃん』 を揺り動かしていた。
「うっ……ご、悟空! あんまり揺ら……ン? なんじゃ、お前さんは」
 仙人がかけているサングラスが、キラリと光る。
 は慌てて自己紹介した。
 もう一人の坊主頭君も、のっそりと起き上がる。
 騒ぎに気づいたようだ。
「あの、わ、私…です」
「わしゃ、亀仙人という者じゃ」
「僕は、弟子のクリリンです」
 ……弟子?
 そういえば、さっき、悟空が 『修行を受けてる』 とか何とか言っていたが…。
 格闘家なのだろうか。
「悟空、弟子って…何か武道でもやってんの?」
 の横に来た悟空が、「ああ」 と元気よく答えた。
「けど、じっちゃんもクリリンも、食中毒でまだマトモな修行はじめてねーけどな」
「せ、仙人なのに食中毒にかかるんだ……」
 仙人というと、霞を食べて生きているというイメージがあったが、イメージはイメージでしかないらしい。
「で、じゃったか? おぬしも武道を?」
「いえ、そうじゃなくて――…」

 何と説明すればいいものやら、まだ上手く言葉を見つけられないだったが、とにかく、自分に起こった事を、出来るだけ、正確に亀仙人に話して聞かせた。

 いつも、”この世界” の夢を見ていた――と思われる事。
 父が突然、死んでしまった事。
 悲しくて、自分のいた世界が、『夢』 だと思い込もうとした事。
 ついでに、よくよくイジメられていた事まで。

 前後が行き違っていたり、筋立っていなかったりしていたが、全体の話としては、理解してもらえたようだ。
 亀仙人は、「うーむ」 と唸ると、不安そうにしているを見た。
「…おぬしの住んでいた場所とここは、確かに違うようじゃのう。わしには、何がどうなっとるのか、さっぱりじゃ」
「……そう、ですか…」
 仙人にも分からないとなると、一体どうすればいいのやら。
「まあとりあえず、この島の様子でも見てみるんじゃな。記憶が混乱してる可能性も、あるじゃろうしの」
「……はい」
 とにもかくにも、しばらくの間、この家――カメハウス――に世話になるように、はからってもらった。
 この島に、の家がなかった場合、だが。


 外に出たは、先に出ていた悟空が、何事かを叫ぶのを聞いた。
 〜〜うん、とか、何とか。
 何のこっちゃ? と思った一瞬後には、上空から物凄い勢いで雲が飛んできて、悟空の前に、フワフワと浮いていた。
 呼ばれて雲が飛んできた、というだけでも驚きなのに、彼はその雲に「よっ」と乗っかってしまったではないか。
 ポカンとしているを見て、悟空がニカッと笑う。
「こいつ、亀仙人のじっちゃんからもらったんだ。『筋斗雲』ってんだ。心がキレーじゃねえと、乗れねえんだ」
 心が綺麗じゃないと、乗れない……。
「私、乗れないかも」
「いいから、乗ってみろって。ホレ」
 すっと差し出された手に、妙にどぎまぎしながら、それでもしっかと掴まり、黄色い雲の上へ、よじのぼる。

(――乗れ、た…)

「乗れたー…わぁ、ぷにぷにぃ」
 上に乗れた嬉しさで、くすくす笑いながら、筋斗雲を突っつく。
 筋斗雲はくすぐったそうに、ぷにゅんと跳ねた。
 それと同時に、の体が浮き上がる。
「うひゃぁッ!」
 落ちそうになり、慌てて悟空にひっつかまると、彼は 「イシシ」 と笑っていた。
「な、何ようっ」
「おめえ、おもしれぇなぁ」
「は?」
 突然 『面白い』 と言われても……何が? といった感じである。
 少なくともは今まで生きてきて、大人しいとか、静かだ、とか形容された事はあれど、 『面白い』 は、全くない。
「…顔の造型が面白い、とか言ったら、殴るよ」
 ムスッとしながら言うに、悟空は笑ったまま、
「ころっころ顔かわんだもん、おめえ」
 軽く言ってのける。
「はぁ!?」
 呆れ顔になる
 ――が、悟空に言われて、初めて気づく。
 ”こっちの世界” へ来てから、自分の表情の変化が明らかに豊かになっていると。
「……ー?」
 目の前で手をヒラヒラされ、自分がポヤッとしていた事に気づく。
 悟空はあぐらをかいたまま、を後ろに乗っけた状態で「いくぞっ」 と、気合を入れる。
 瞬間、体が下にちょっと引っ張られる感覚が―――。

「っどぅわぁっ!!!」

 一気に急上昇を始めた筋斗雲に振り落とされまいと、焦って前にいる悟空の服を掴む。
 悟空は目を輝かせながら、
「いっけー! 筋斗雲〜!!」
 爽快に号令を出した。
 途端に筋斗雲はそれに従うように、島の周りを上昇下降を繰り返しながら、時には回転までしつつ、無駄にダイナミックにぶっ飛んでいった。

 しばらく旋回した後、島の上でやっとこその動きを、ピタリと止める。

「どうだ? おめえの知ってるトコあったか?」
 けろっと聞いてくる悟空。
 振り向くとそこには、彼の服を掴んだまま、冷や汗をたらして俯いているの姿があった。
 彼女の綺麗な黒髪は、風圧でぐちゃぐちゃになっている。
 は肩で息をしていたかと思うと、落ち着いた頃を見計らい、不思議そうに見ている悟空に向かってキッと睨みをきかせ、おもむろに叫ぶ。
「あっ、あんな凄いスピードと回転で、何をどう見ろってのよぉぉ!」
「おっ、そっか。ははっ、すまねぇ」
「……はあ」
 彼の笑顔を見ると、怒る気が失せるのは何故だろう。
 邪気がないからか、悪気がないからか。

 …ふと、周りを見ると、丁度、島のほぼ全景が見える位置にいる事に気がついた。
 物凄い高さだが、激しいアクロバット飛行の後では、大した物とも感じない。
 ともあれ。

「…やっぱり、全然違う…。私の家なんて、ないよ…」
 期待していたわけではないが、それでもガックリとうなだれる
 万に一つ――という事もあったのだが、それもこれで打ち砕かれた。
「なあ、そんな気ぃ落とすなよ」
「…ん、そだよね。気落ちしてても、しょうがないよね…」
 悟空の笑顔が力をくれているかのように、は何とか、ネガティブの渦に巻き込まれないですんだ。
 いつもなら、沈みきっている所だろうに。
 ……状況が状況だ、という話もあるが。


 カメハウスに辿り着くと、二人を下ろして、筋斗雲は上空へと帰っていった。
 悟空はの手を引き、家の中へ入っていく。
「亀仙人のじっちゃーん、けえったぞー」
 も思わずつられて、「ただいまー!」 と叫んでしまったが、不思議と違和感はなかった。


 リビングにいる亀仙人とクリリンに、『やっぱり分からない場所だった』 と告げる。
「…おぬしは、どうしたいんじゃ?」
「私…」
 は、悩んだ。
 けれども帰る方法が見つからないし、不思議と ”何とかなる” という気になっていた。
 ここでなら―― 『父の言葉』 に添えるかもしれない。
 そう考えたら、どうしたいかは、直ぐに出てきた。

「仙人様、私も修行させてください!」




私は間違いなく、筋斗雲に乗れないです。
2003・4・2