少女降臨



 『強く、なりなさい』

 今は亡き父の声が、遠くで囁いた気がした。

 夢。
 いつもいつも、物心がついた頃から見続けていた夢。
は、その 『夢』 の中でも、寝転がっていた。

 布団の代わりに、横たわったの下に敷き詰められている綺麗な、白い、砂。
 そこに、ぽたり、ぽたりと、涙が落ちては、砂に吸い込まれていく。
 学校の友人に、どんなにイジメられても、決して泣く事はなかった
 それは、 『父の死』 という事象で、もろくも崩れてしまった。

(変なの。夢の中でまで、泣いてる)

 いつも以上にリアルな感覚がそこあるにも関わらず、は目を閉じていた。
 夢の中に逃げ込んでも、父を失った悲しみは、消えてくれないらしい。
 声もなく、涙だけが白砂に零れ落ちる。

 ポタリ。

 ポタリ。


「なぁ、おめぇ、死んでんのか?」

 の内心――沈みきった心とは全く逆の、明るく爽快な声に、引き寄せられるように、体を起こした。
 今更気づいたが、 ”夢” なのに、自分の意思で動けている。
 感覚も、普通にある。
 何が何だか分からず、おどおどおろおろしている所に、また、すぐ隣から声がかかった。
 あの、明るい少年の声だ。
「なぁんだ、生きてんのか。オラ、おっ死んでんのかと思ったぞ」
「え…あ…うん、生きてるよ…」
 にかっと笑う少年の表情に和まされてか、いつの間にか、涙が止まっていた。

 夢、にしては有り余るリアリティに、は少年をよく見もせず、周りの景色を、食い入るようにしてみる。
 少年は、ボーっとしているの隣で、不思議そうに彼女を見ていた。
 無論、景色に没頭している彼女は、少年の行動など、分かりもしないが。

 抜けるような青い空。
 生命感すら感じられる、緑色の木々。
 アクアマリン色の海は、太陽の光を照り返し、宝石のように輝いている。

 まぎれもなく、ここは、の見ていた 『夢』 の世界。
 彼女は、砂を掴んで、手のひらに載せてみた。
 ……白い砂が、サラサラと零れ落ちる。
 そう、夢の――世界。

 そこまで考えて、ハッとする。
 今回ばかりは、何故だか、目が覚めれば起きる、という気がしなかった。
 いつもの夢の感覚と、明らかに違う。
 体も意識も、”この世界” に、あるのでは?
 そう思ったとたん、また泣き出したくなった。
 いくら夢の世界へ行きたいと願っていたとはいえ、まさか本当に来てしまうなんて。
 しかも、帰り方も分からないときてる。

 ぼろぼろと瞳から、涙が零れ落ちた。
 隣で不思議そうな顔をし、ずっとを見ていた少年が、
「いっ!?」
 驚いたような声を上げたのにも驚いたが、泣くのはどうにも止まらない。
「なっ、泣き虫だなぁ、おめぇ…」
「そんな事、ないっ」
 ぐしぐしと目をこすると、少年に向かって嘆くような声を上げた。
「ここ、どこぉ……」
 力を抜くと、また泣き出してしまいそうだったので、言葉を搾り出して、何とか発言する。
少年は、「オラもよくわかんねーけど」 などと軽く言ってしまってくれる。
 はぁ、と軽くため息をつくと、とりあえずは自己紹介することにした。
「私…
「おう、オラ、孫悟空だ!」
 元気のよい、この少年の名前は、孫悟空というらしい。
 目を見張るような髪だが、それより印象付けられたのは、笑顔と目だった。
 素直さを実直に現したような瞳。それを裏付ける笑顔。
 自分の周りには、いないタイプの人間だと思った。

 悟空は、の顔をじぃっと覗き込むと、「うーん」 と唸った。
「おめぇ、女か?」
「………男に、見える?」
 彼は、顔を覗き込んだまま、話を続けた。
「オラ、男と女の区別がつかねぇんだ」
「…………」
 何というか――これには閉口するだった。
 どういう生活をしてくれば、男女の区別がつかないような子供が出来上がるのだろう?
 一瞬、ここは無人島か? という疑問が浮上したが、それはないと思われた。
 見回したときに、少なからず民家の屋根のようなものも見えたし。

(も、もっと普通に話が出来る人は……っ…)

 が小学生とはいえ、悟空は説明者向きではないと、会ってすぐに分かった。
 自分がどんな状況下にいるのか、どうしてこの場所にいるのか、説明できる人間がいるとは思えないが、ここがどういった所なのか理解したい。
 自分が陥っている状況から脱出するためには、知恵をフル回転させなければならないと悟る。
 先ほどまで父を亡くした悲嘆にくれていただが、場合が場合なだけに、しっかりしないといけない! と、自分を奮い立たせていた。

「えっと、悟空――で、いいかな」
「ああ!」
「えーと、悟空の親、とかは? この島に住んでるんでしょ?」
 の質問に、頭の後ろで手を組んだ状態のまま、「うんにゃ」 と平気で答える。
「オラ、じっちゃんと二人で暮らしてたんだけど、死んじまってさ。今はここで、強くなるために、亀仙人のじっちゃんの修行受けてるんだ」
「??」
 ……上手く要領を得ないが、とにかく、その『亀仙人のじっちゃん』に説明を求める方が良いような気がした。
 少なくとも、悟空より、マトモな説明をしてくれそうだ。
 なんたって、 『仙人』 だし。

「悟空、あの、私その 『仙人』 様に会ってみたいんだけど」
「んじゃあ、じっちゃんのトコ行ってみっか」
 すぐそこだからよ、と手をつかまれ、ずんずん歩いていく悟空に、は不思議と安心感を覚えていた。
 学校でイジメをしてくる男の子とは、全然違うからかもしれない。
 は悟空に手を引かれながら、ふっと、父の言葉を思い出していた。


『強く、なりなさい』

 ――ここでなら、強くなれる?

 一瞬、そんな事が頭を、かすめた。





2003・3・29