少女の夢




 少女の肩にかかる程度の、絹のような髪には、砂粒がかかっていた。
 足にも、手にも。
 次から次へと、上や横から掛けられていては、砂を払いのける行動など、無用の産物かもしれない。

 少女は、学校の砂場の真ん中にうずくまり、同じクラスの、有数のイジメっ子たちからの砂攻撃に、ただただ人形のように、静かに耐えていた。

「チービ、チービ、チビ〜」
「おいー、何でお前こんな目に会わされるか知ってんのかー?」
 主格と思われる男の子の質問に、彼女は首を横に振った。
 サラサラの黒髪から、砂が零れ落ちる。
「お前、弱いからだよ。そのくせ泣かないしさー、ムカつく」
 それに便乗して、隣にいた女の子も、ぐちぐちと文句を言い出した。
「隣のクラスの香坂くんに告白されたとかって噂あるじゃない! 勝手に抜け駆けしないでよね!」

 ぎゃーぎゃーと勝手に盛り上がり、そして、勝手に盛り下がっては去っていく。
 は静かになったのを見計らい、立ち上がると、体にまとわりついた砂を叩き落とした。
 毎日の事ではあったが、慣れはしない。
 明らかなる 『イジメ』 だが、関わり合いになりたくないのか、それとも本当に知らないのか、教師は何も対応してはくれない。

 
 イジメを受けているこの黒髪の少女は、普通の家庭の、普通の女の子であったが、普通でない部分を挙げるとしたら、それは 『夢』 の見方である。
 そして、その妙な 『夢』 を毎夜心待ちにしているのは、紛れもなく当人の

 大嫌いな学校なんて行かず、ずっと夢を見ていたい。
 イジメられない位強かったら。
 色々考えてみるものの、どれも実現不可能で。


「ただいまぁ…」
 はランドセルを下ろし、母親が用意してくれたお菓子を口にほおばると、とつとつと二階にある部屋へ向かい、ドアを閉めた。
 自分だけの、自分の空間。
 母は在宅の仕事で忙しく、父は外の仕事で忙しい。
 は一人だったし、友達も多くなかったから、部屋でボーっとしている事が多かった。
 それが、あの妙な 『夢』 を紡ぎだしているのかもしれなかったが、楽しいから、それはそれでいい。
 両親にも秘密にしている、たった一つの楽しみ。
 それを誰かに打ち明けてしまうには、はまだ十歳の子供で幼い部類だったし、言った所で笑い話にされてしまいそうで。
 だから、誰にも言っていない。
 秘密の、『夢』。


 宿題がてらに、ふと、窓の外を見てみる。
 青い空と、小波を打つ海。
 の部屋からは、海が見えた。
 でも、夢の中で見る空や海は、もっと透き通っていて、青くて、綺麗で。
 そこに映る緑も、どれもこれもありえないくらい綺麗で。
 は、それが自分の夢だと分かっていても、毎晩見る妙にリアリティのあるそれに、もしかしたら、どこか遠い国――遠い世界に、それがあるような気にすらなる。
 何しろ、気づいた頃から、ぶっ続きで見ているのだ。
 一日も抜かすことなく、まるで映画のように。

 暫くポケッとしていたは、はっと気づき、目下の問題である宿題を手に付け始めた。
 終わらなければ、晩御飯が遅くなってしまう。
 学校では使用禁止のシャープペンシルでも、家なら遠慮なく仕える。
 はカチカチ音を立てて芯を出すと、真剣な表情で問題に取り組み始めた。


ー、ご飯よー」
「はぁーい」
 間延びした声で返事をする。
 時計を見ると、七時を回ったところだった。
 宿題も丁度よく終わったところだったので、机から離れ、リビングへ降りていく。
 階段を下りながらも、いい匂いが鼻腔をくすぐるのが分かった。
 今日のご飯は、多分、カレー。

「お、今日はカレーか」
「ええ」
 父と母の、温かい声。
 一家は、声を合わせて「「「いただきます」」」と言うと、一斉に食事をし始めた。
「そういえば、今度の休みは遊園地に行く予定だったな」
「うん」
「また仕事で駄目――とか言いませんよね?」
 母親の剣呑な視線に、父は 「仕事は断ってきたから」 と優しい微笑みを湛えた。
 以前から約束していた、遊園地へ連れて行ってもらう、という行為に、は当然感激した。
 いつものイジメの事なんて、頭の隅から飛んでいってしまうぐらいに。
「ホント!? ウソついたら、一生怨むからね!」
「ウソじゃないよ」
「やったぁ〜」
「でも、、一つだけ約束をしないか?」
 カレースプーンを口元に寄せて、小首をかしげる。
 母親は、以前から知っていたようで、不思議そうでも、なんでもない。
 は父の目を見た。
「…強い子に、なろうな」
 それがどういう意味なのか、には何となく分かった。
 両親は、多分、知っていたのだ。
 が、イジメられていると。
 スプーンを口に含み、父の、母の真剣な目を見て――頷く。

 自分は弱いけれど、強くなれたらいいなぁ。
 ……そんな事を思った、瞬間だった。

 両親との食事を済ませ、は満腹で眠気をかもし出していたが、何とかかんとかお風呂に入り、今日見る夢はどんなだろう? と一人想像して楽しんでいた。

 その数時間後に、悲劇が待ち構えているとは、夢にも思わず。


 『夢』 への道の途中で、突然覚醒した。
 母親の悲鳴、慌しい足音。
「お母さん?」
「あぁ………お父さんが……」
「…お父さんが、どうしたの?」
 倒れている父。
 さっきまで笑っていた父。
 強くなれと、そういっていた父。
 ――――その父の側に寄り添うようにして、泣きじゃくっている母。
 はそっと父に近づき、意図せず、胸に耳を当てる。
 ――鼓動は、なかった。

 は父が心臓病でこの世の者ではなくなったのを知った。



 強くなれ。
 そういわれた次の日には、は自分が、世界で一番弱くなってしまったような錯覚を覚えた。
 母は慌しく、たった一人で父の葬儀の準備に追われ、はというと、休む事なく、学校へと足を向けていた。
 そして例によって苛められ―――。

 お父さん、強くなれないよ。
 遊園地、約束したじゃない。
 強いって、なに?
 私は弱いから、分からないよ。

 いつものように砂をかけていた男子の一人が、気づいた。
 の様子が、余りにおかしいのに。
「おい、ちょっと…」
「何?」
 ひそひそ話を始めた男女の視線は、に固定されたままだった。
 何しろ、彼女は全くの無表情だったのだから。



 お父さん、お父さん―――。

 の悲しみは深く、逃げる事しか、頭には残っていなかった。
 それに付け加えて――彼女は、事実を知ってしまった。
 というより、母から知らされてしまった。

、こんな時に――でも、言っておきたい事があるの」
「なに…?」
 母は神妙な顔のまま、に告げた。

「貴方は、私達の本当の子供じゃないのよ」

 からっぽ。

 からっぽ。

 逃げ込める場所は、どこ?

 部屋に戻ったは、そればかり考えていた。
「…そうだ、寝ちゃえ……全部夢なんだ、こっちが、夢――」
 ベッドにするりと入り込み、いつものように目を閉じる。
 『夢』 の世界へ、入るために。
 まさか、本当に入ってしまうとも――思いもしないで。




悟空のごの字も出ていない1話目。今見ると懐かしいですが、文章が…。(2009・6・18日コメ書き直し)
2003・3・27

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