だからさ。
 アレのどこがいいのか、あたしにはさっぱり分かんないんだってば。


人の噂


 その日は何か変だった。
 食事へ言っても、酒を飲んでいても何かしら視線を感じていて。
 振り向けば視線が逃げる。
 または、視線を向けていたらしい人が手を振ったり、『まあ、頑張れよ』とか声をかけてくる輩がいたして。
 にはさっぱり意味が分からない。
 何が頑張れなのだろう。
 途中参入の仕事もないはずだし、ねぎらいの言葉をかけられるような事象は存在しない……はずなのだが。
 まあ、今日はバーダックと遭遇していないから平和。
 ……だと思っていた。
 友人のリィフがとある言葉を発するまでは。



 酒場兼食堂――いつもの場所でで夕食を食べた後、とリィフは酒ではなく茶を飲みながら雑談していた。
 お腹一杯になりすぎて、アルコールは入りそうになくて。
 仕事の話やら訓練の話やら、どうでもいいことからそうでないことまで2人で話している最中、はまた視線を感じて顔を上げ、周りで食べたり飲んだりしている者たちを一巡して見た。
 ――が、特に何もおかしなところはない。
 殺気というものとは違うので、別に警戒する必要もあまりないのだが、それでも今朝からずっとだと気にもなる。
 コップの中の入った冷茶を咽喉に流し込み、一息つく。
「……どうかしたの?」
 リィフが怪訝な顔をして問う。
 少しの間周りを見ていたは視線をリィフに向けた。
「どうもこうも……今朝から視線感じててさ。頑張れ≠ニか言われたりして。あたしには何が何だかサッパリなんだけど」
 言うとリィフが何か思いついたように口の端を上げた。
 含みのある表情。
「あー、なるほど。……ねえ、あなたバーダックの女になったんだって?」

 からりん、とコップの中に入っていた氷が音を立てた。


 直後、は思わずテーブルを叩いて立ち上がっていた。
「何それ!!」
「何って……」
 どういうことか説明しろと問い詰めると、リィフは『噂だけど』と付け加え、に椅子を示す。
 とりあえず座って落ち着いて話を聞け、という意味で。
 それに素直に従い、半ば睨みつけるようにして話を聞く。
「私が聞いた話は――」

 リィフが耳にした話――噂によると、こういうことになる。

 曰く、バーダックの部屋から顔を真っ赤にして、目を潤ませているが出てきた。
 曰く、バーダックの部屋から微妙に服装の乱れがあるが出てきた。
 曰く、部屋の前で熱烈なキスを繰り返していた。
 曰く、がバーダックに誘われて部屋へと入って行く場面を目撃した。
 曰く、遠征に2人で向かったとき、は既にバーダックに喰われた。

 ……等々。

 はそれを耳にしながら、体から力が抜けていくような気がしていた。
 何だ、どこのバカがそんな噂を広めやがったか。
 バーダックの部屋に行ったことは確かだし、部屋の中に誘われて入ったことも事実。
 顔を赤くしていたというのも、確かに間違いではない。
 誇張されているが。
 しかし、それ以外はどうなんだ。
 キスされたのも事実。
 が、誰かが見られるような状態ではなかったし、他のことについては完全に噂に尾ヒレがついている。
 服装の乱れなんてなかったし、部屋の前で熱烈なキスなんぞしてない。
 誰かがその現場を見たというなら、その見たと主張する人物は眼科にいって、是非、隅から隅まで検査してみることをお勧めする。
 第一、遠征に2人で向かったとき、既にバーダックに喰われたっていうのは完全なる憶測ではないか。
 いや、他のいくつかもそうだけど。

 何だか肩を震わせているに、リィフは声をかけた。
「ちょ、ちょっと?」
「誰が……誰がそんな無茶苦茶な話を……っ」
 明らかに気が高まっている彼女に、周りが視線を向け始めた。
「あのバカがまわしてるの!?」
 あのバカとは言わずとも分かるバーダックのことだが、リィフは違うと首を横に振った。
 じゃあ誰だと問えば、その辺で皆噂してると答えられ。
 ……人の噂というのは恐ろしい。
 こうなれば噂が消えるまで耐えるしかない。
 たとえバーダックを喜ばせるだけだとしても、だ。
 人の口に戸は立てられないものだから。

 深々とため息をつく
 それとほぼ重なるようにして、2つ、影がテーブルにかかった。
 横を見ると、見知らぬ女性が立っている。
「一応聞くけど。あたしに用事?」
 腰当たりまである長い髪の女が顔を少し上向きにして、見下したように言う。
「……あんたがなら、用事があるわ」
「そ。それじゃ、行きますか」
 かたんと音を立てて立ち上がり、長い髪の女の後についていく。
 の後には、もう1人、ベリーショートヘアの女性が控えている。
 リィフが軽く手を振り、
「大怪我しないようにねー」
 とどちらにともなく言った。

 3人は廊下へと出ると、ぴたりと立ち止まる。
 長髪の女がを睨みつけた。
 次に来る言葉が予想できるあたりが既に腹立たしい。
「あんた、バーダック様の女なんだって?」
 ……様付けかい。
 短髪の女も口を開く。
「貴方みたいな女にあの方は似合わないのよ!」
 勝手に噂から想像を膨らますのは勝手だ。
 呼ばれた時点で、何を言われるかも分かっていた。
 しかし。
 は低く呻いた。
「……何であいつのせいで私が煩わされないといけないわけ……」
 額を押さえてたまらないという表情をするに、女2人が更に文句を言う。
 此方の状況や都合などお構いなし。
「今後あの方に近づいたらただじゃ……」
「あ!」
 短髪の女が大きく声を上げる。
 と長髪の女が彼女を見ると、視線が一点に固定されている。
 同じように視線の先を見やると――諸悪の根源がいた。
「ば、バーダック様……」
「楽しそうなことしてんじゃねえか。俺はここで見ててやるからよ」
 口の端を上げて笑う彼に、信奉者2人が戸惑った。
 はバーダックを睨みつけ――それから、まだ戸惑っている女性2人に真面目に聞く。
「ちょっと聞きたいんだけど」
「な、何よ」
「アンタ方さ、アレのどこがそんなに好きなわけ? できれば教えて欲しいんだけど」
 物凄く真面目な顔をして言うに、2人は顔を見合わせた。
 バーダック当人がいることを失念したかのように言葉を発す。
「信じられない! 彼のあの素敵な笑顔を見てそんなことを言うの!?」
「あれは、素敵っていうんじゃなくて不敵ってーんじゃないの?」
 長髪の女の言葉を、斬って捨てる。
「下級戦士とは思えない戦闘力と体でしょう!?」
「そら、何度も何度も死にかかってりゃ誰だってなるでしょうに。サイヤ人の特性だし」
 短髪の女の言葉を、これまた斬って捨てる。
 は噂がまわっていることの鬱憤を晴らすみたいに、ここぞとばかりに愚痴った。
「大体、バーダック様≠チていうガラなの? あれは。タラシだって話もあんのに。それと、噂をまわされて迷惑してんだから私はっ。誰があいつのオンナかっての。寝言は寝て言え。寝言でなかったら宇宙の果てまで吹っ飛ばすわよ」
 つらつらと文句をいい、スッキリしてバーダックを見る。
 彼はの行動を見て、笑いを堪えていた。
 それがまた腹立たしい。
 助けろとは思わないが、楽しそうだからここで見ててやる、だぁ?
 それが仮にも好意を持ってるという女にすることか。
 勝手にキスしたんだから、これぐらいは何とかしてやろう、ぐらい思わないのか。
 ……いや、思わないからああして見てるんだろうけけれど。
 第一、自身、バーダックに助けられたら助けられたで、文句を言うだろうという自覚はあるから、結局どうしたって文句は出てくる。
「バーダック」
 は彼の側に近寄ると、思い切り腹に拳を打ち込もうとした――が。
「……避けないでよ」
「避けるに決まってるだろうが。今本気だったろう」
「本気に決まってるでしょう。一発殴らして。それで噂がまわってることはチャラにするから」
 言いながら彼の腹に手痛い一発を喰らわせる。
 バーダックは少し顔を歪め、腹に響いた鈍痛を何とかやり過ごす。
 は小さく息を吐いた。
「本気で殴ったら私の手がいかれるから手加減した。それじゃ」
 言うだけ言い、きびすを返してさっさと立ち去る。
 残されたバーダックは面白そうに笑った。
 その笑いを見たファン2人は、ちょっと驚いたという。
 何だか自分たちが見たことがないような、優しそうな笑いだったから。

 はバーダックの部屋から出てきた事象を誰が噂にしたかなど、今やどうでもよかった。
 酒場に戻りながら、眉根を寄せて呟く。
「……アイツとあたし、どっちが先に折れるか勝負しようじゃないの」
 バーダックを好きになることなんて、とても考えられないけど。

 そうして一日が終わる。



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2006・2・8