行きつ戻りつ 2 いつもと変わらない、騒がしい2Z組。 その一角、窓際の席にいるはため息交じりに己の腕を見た。 長袖の下に隠れれて見えはしないが、包帯が巻かれた左腕は急な動きをすると、ぴりぴりとした軽い痛みを訴えてくる。 一晩で傷が塞がるはずがないが、なかなかに鬱陶しいものだ。ここ最近はこういう類の怪我がなかったので余計そう思うのかも知れない。 「、体育アルよ?」 前から声をかけられ、はっとする。友人の神楽と志村妙が不思議そうにこちらを見ていた。 彼女たちは体育着を身にしている。午後一番の授業のために、普段だったらもう着替えていなければならないのだが、は制服のままだった。 「今日の授業ってバスケだっけ」 「そうアル。ハッスルするアル!」 ぴょんぴょん跳ねる神楽。妙は動こうとしないに訊ねた。 「お休みするの?」 「うーん……どうしようかな……」 休む程のものではない、と思う。しかし2Zの体育の授業、特に対戦ものは動きが激しい。 各グループが本気になってゲームするからで、更にバスケは男女混合――神楽や沖田の大暴れぶりについていけるとは到底思えない。 悩むの後ろから、「やめとけ」と声がかかる。振り向くと、土方十四朗の姿があった。 「志村、体育教師が呼んでるぜ」 妙は一瞬、ひどく面倒くさそうな顔をしたが、すぐに教室を出て行く。 学級委員などという立場の彼女は、問題児揃いのZ組にあって教師によくよく注文をつけられる。面倒がるのも無理はない。 土方は彼女が出て行った後、に言葉をかけた。 「体育はやめとけ。お前、怪我してるんじゃねーのか」 は目を瞬きながら、土方の瞳孔が開いたような瞳を眺めた。 どうして気づいたのだろう。彼に分かるような、はっきりした態度をとった覚えはないのだが。 神楽の方は全く気付いていなかったようで、どこを怪我しているのかと何度も訪ねてくる。 隠そうとすれば神楽は本気で服を剥きにかかり兼ねないし、あえて誤魔化す意味も見出せない。 素直に頷き、神楽に腕の負傷を伝えた。 「あの……土方くん、なんでそんなこと分かるの。っていうか、分かりやすかった?」 「隣の席だし、ちょっとした違和感に偶然気づいたってだけだ。庇ってるように見えたからな」 ――彼の洞察力が凄いのか、それとも私が分かりやすいだけなのか。 「、なんで怪我したアルか。まさか沖田のサド野郎が放ったバズーカで!? だとしたら許されないアル!! 危ない武器は全部マヨラーに向ける決まりアル」 「ちょぉぉお、お前なに勝手な決まり作ってんの!? 犠牲者をオレで固定しないでくれない!!?」 「いや、あの神楽ちゃん、全然違うから落ち着いてよ。間抜けすぎる理由だから、怪我の理由は聞かないで欲しいな、うん」 神楽はふくれっ面を披露しつつ、 「と一緒に、敵のタマの取り合いしたかったアル。怪我が治るまでお預けネ」 とかなんとか。発言が卑猥なんだか暴力的なんだか分からない。 とにかく休むにしてもなんにしても、体育館には行かねばならないだろうと、は腰を上げる。無意識に机についた左腕に、今までよりも強い痛みが走って思わず顔をしかめてしまった。 それを見た土方は眉根を寄せた。 「おいチャイナ娘、こいつが体育見学するってのと、オレが保健室に連れてくっての言っといてくれ」 「てめーマヨラァァ!! を保健室に連れ込んでナニする気アルかッ。固いベッドの上でアンアン言わせる気だろォォォ!!」 「違ぇよテメェ! どこぞの銀八みてーに万年発情期じゃねーんだよオレは!!」 どこぞの銀八って、明らかにひとりを指示してますよねと思つつは苦笑した。 「土方くん、いや、こんなん舐めときゃ治るって……ほんと、大したことじゃ」 「いいから行くぞ」 ぐいっと右手を引っ張られ、は仕方なく土方の後をついていく。 むすっとした顔のままの神楽に連絡をお願いすると、彼女は渋々頷いた。 保健室へ向いながら、は腕の痛みが先程からしつこいこと気づく。 きちんと止血したのだが、安易にぶんぶん振り回したせいで傷が開いたのだろうか。 本当に大した怪我ではないのだが、己の存在を主張する切り傷が本当に鬱陶しい。かといってこの傷を誰かに見せるつもりは甚だなくて。 ――どうしよう、困ったな。 どうやって土方を帰そうかと悩んでいるうちに、目的地に着いてしまった。 職員棟の奥にある保健室は、普段通りひっそりとしている。保険医が不在のこともあるし、その際には鍵が閉められているが、土方が扉に指を掛けて引くとあっさり開いた。在室らしい。 保険医がいないことを願っていたのだが。 「失礼し……おい、なんでテメーがいやがる」 土方の影にいたは、彼の横から部屋の中をのぞき見た。 「あれ……銀八せんせ?」 「おーと土方か。なんですかァ、授業サボって保健室で不純異性交遊ですか。そいつは見逃せねーなァ」 「なんで不純異性交遊なんですか。決定ですか」 「あれ、違った? まあいーや。怪我したなら俺が看てやるからマヨ坊主はさっさと授業行けー」 片手で、まるで犬を追い払うかのような素振りを見せる銀八。土方は眉根を寄せて今にも銀八に噛みつかんばかりだ。 冗談ばかり言う銀八は、基本的に土方とはそりが合わないらしく、しょっちゅう喧嘩――という程のものではないがぶつかり合いをする。 教師相手にそんなことが出来るのも、ある意味銀八の人柄の良さだとは思うが。 「土方くん、ありがと。授業行って」 「気ィつけろよ。戻ってくるまでにコケたりすんなよ」 どれだけ間抜けな存在だと思われているか。苦笑しながら右手を振ると、土方はため息交じりに保健室を出て行った。 瞳孔開きっぱなしの強面の割に、面倒見がいい彼。他クラスで人気があるのが分かる気がする。 「ほら、さっさとこっち来い。どこ怪我したんだ」 「え、っと……自分でできますし、先生も行っていいですよ」 「そーはいかねェの」 銀八の向かいの椅子に腰を下ろしながら、はどうしたものやらと息を吐く。 保険医の高杉は不在のようだし、自分でさっさと手当てしてしまおうと思ったのだが。やはり教師がいると己で、という訳にもいかないようだ。 ――高杉先生なら、深く突っ込みいれられなくて、まだ良かったんだけど。 「ほら、どこだよ」 「うわぁ! っ、先生、いきなり近付かないで下さいよ」 銀八の顔がいきなり目の前に来て、は少し身を引いた。 ――い、いつの間に近場に来たんだろうこの人。 「お前驚きすぎ」 「それは先生が目の前にいたから、です!」 「あれ、俺に惚れちゃった? ねえ惚れちゃったの?」 いつの間にやら治療セットを持って眼前にいた彼は、消毒液を取り出しながら冗談めいた口調で言う。 「冗談は顔だけに」 「ひっでぇなあオイ。俺の柔なハートが粉々になっちゃうからヤメテ」 「妙なこと言うからですよ」 へいへい悪ゥござんしたー、と物凄く気のない返事をしする銀八の横で、は動揺を悟られてはいないことに安堵した。 ――びっくりした。本当に驚いた。 は中学で様々な経験を得ていて、他人の気配に敏感だ。 少なくとも一般の人よりも鋭いと自負しているのに、この人はいつもいつも、容易く己の領域に、気取られもせずに入ってくる。 気を許しているからでも、こちらの気が緩んでいるからでもない。 ふわふわした銀髪と、全くやる気の見られない赤色の目。 国語教師のくせに白衣なんか着て、つっかけサンダル。 授業だって真面目にやることの方が少ない、不良教師そのもの。 そんな、一般人より堕落している感のあるこの男の、底は知れない。 「ほらほら、さっさと傷口出す。痛ェんだろ、左腕」 「……私、患部がどこかって言いましたっけ」 「庇ってるとこ見りゃ誰だって分かる。先生が制服脱がし出す前に、ちゃんと自分で見せなさい」 「セクハラでグーパン喰らわせますが宜しいか」 「いいよー、ちゃんの拳ぐらいじゃあセンセー泣かないもーん」 冗談めかした内容の割に声色は真剣。ぐだぐだ悩んでいても仕方がなく、諦めては袖をまくり包帯を見せた。 朝巻いた白いそれに、赤いものは付着していなかった。 意外に手際のいい動きで包帯を引っぺがされ、止血用のガーゼがゆっくり剥がされていく。 「お前、これどうしたんだ」 患部を見た銀八の目が僅かに細められる。 腕を斜めにはしる傷は、転んだだとかうっかりだとかで付くような物ではないが、 「不調法でやらかしちゃったんですよ。研いだ包丁ってよく切れますよねー」 誤魔化しを口にした。 切り口が妙に綺麗だし、切創の幅はそこそこ大きいし、それで納得してくれるなんて露とも思っていないけれど。 「ほーォ、包丁でねえ……それはそれは器用だなァお前」 銀八は死んだ魚の目でじとりとこちらを眺める。は、つい、と思わず視線を逸らしてしまった。 彼は物言いたそうに息を吐くも、無言のまま患部に消毒液を当てた。 びりびりした痛み。は顔をしかめ、口唇を引き結んだ。 傷そのものが視界に入らなければどうということはないが、いざ目にしてしまうと妙に痛くなってしまう。 理想としてはしれっとした態度をしていたいのだけれど、平気な顔を出来るほど己に堪え性がないことを知っている。 呻き声を喉の奥にしまい込むようにしていると、銀八がくつくつと笑い出した。 「お前、その顔は沖田の前でしない方がいいぞ。ドSが喜びそうな感じだから。あ、俺もSだからちょっと虐めたくなっちゃうけどォ」 「どんな顔か知りませんが、早く終わらせて下さいっ」 ぎゅっと目を閉じて、手当ての終わりを待つ。必要な処置を終わらせ、包帯をくるくる巻かれたところでは目蓋を開いた。 綺麗に巻かれた白い布にほっとし、銀八に頭を下げる。 「ありがと、先生」 「いんや、保険医代理だしな。……一応聞くが、怪我の原因は虐待とかじゃねーよな」 「冗談でもやめて下さい」 は屋台ラーメンを営む祖父との2人暮らしだが、それはそれは大事にされている自覚がある。 無口で強面の祖父だが、付かず離れずの距離でいつも見守ってくれているのだ。虐待なんてとんでもない。 「悪い。けど、原因言いたくねーってんだと色々邪推しちまうだろ。担任としちゃあ放っとけねーし」 「それは、そう、ですね。でも本当に心配するような事じゃないんですよ?」 銀八はがりがりと後頭部を掻く。 「こないだの電話の……なんだっけ、『撃退云々』ってのに関係あるか? ストーカー被害にでも遭ってんの? 近藤?」 「なんでストーカーで近藤先輩が出てくるんですか。彼は妙ちゃん一筋でしょう。とにかく、本当に大丈夫なんですってば」 銀八の赤い目にじっと見つめられると、落ち着かない気分になる。 普段は死んだ目をしているくせに、たまに鋭いから困りものだ。 「よし分かった。見逃すのはこれ一度きりだ。次にまたなんかあったら口を割らせる。いいな」 「うぅ……はい。それじゃあ失礼します。神楽ちゃん達に心配かけちゃうし、授業出なくちゃ」 「焦って転ぶなよ」 そこまで間抜けじゃないですと笑いながらお辞儀し、は保健室を出た。 廊下の窓から外を眺めると、ちらちらと白色が舞っている。 雪が降るなんて珍しいこともあるものだ。 ――折り畳み傘、持ってたっけ。 考えながら吐き出した息は白かった。 拍手掲載日/??? 個室移動日/2011・6・8 |