行きつ戻りつ 1 「おーい、ちょいっとそこ行くー」 「あの、坂田せんせ。フルネームはどうかと思います」 振り向きながら、ずり落ちかけていた鞄の肩紐をかけなおす。 思いのほか直ぐ近くにその人がいて、は少しだけ身を硬くした。 そんな自分をおくびにも出さず、は担任教師――坂田銀八に向かって笑顔を向けた。 「まさか、また『手伝え』ってんですか? 無視して帰ったりしていい?」 「頼むよぉぉ! いちご牛乳おごってやっから!!」 「……ミルクティーでお願いします」 「お前いま何気なくいちご牛乳拒否した? 俺の好きなもの否定しちゃった? お子様にはわかんねえのか、あの濃厚かつ甘い味」 「帰っていいですか」 「いやスイマセン、ほんとスイマセン帰らないで。先生泣いちゃうから。……ってことで、国語準備室な」 「はーい」 乾いた音を立てて書類を枚数分揃え、ぱちんぱちんとホチキスで書類の端を止めていく。 銀八も机の向かいでと同じことをしているのだが、いかんせんその手の動きが遅い。明らかに面倒くさがっている。 自分が授業で使うものを人に手伝わせておいて、この態度。 普通なら怒るところだろうが、更に傍若無人な知人がいるから、たいして気にもならない。 この担当教師との付き合いが、もうそろそろ3年目になることもあるだろうけれど。 ふぅっと息を吐き、何気なく窓の外を眺める。 日々寒さに拍車がかかる中、グラウンドでは様々な部活動が行われていた。野球部員の誰かが暴投して顧問に怒られていたり、サッカー部が走り込みをしていたり。 ここ数日の雨のため、妙に水はけの悪いテニスコートでは、テニス部の面々がスポンジを片手にコート内の水溜りをなくそうと躍起になっている。非常に面倒くさそうだ。 体育館の方を見、ふと思い出しては銀八のやる気のない顔に声をかけた。 「先生、部活は?」 「あ?」 「剣道部」 言いながら体育館を指し示す。 銀八は剣道部の顧問だ。たいていの運動部がそうであるように、剣道部も平日の活動がある。生徒の活動を監督すべき顧問がこんな所にいていいのだろうか。 「いーんだよ。名ばかり顧問なんざ居なくたって、部長と副部長がしっかりやってくれてますからァ」 「近藤先輩と土方くん……可哀想」 「俺のがカワイソーだろうが。教師の仕事の他に、顧問なんざ押し付けられてたまんねェって話よ。センセーは色々忙しいってのに」 それは他の教師も一緒だろうに。 思うが、なにも言わないでおいた。妙に拗ねられたりしたら面倒くさい。 視線を紙に戻し、は作業を進めていく。二人でやっている割に進みが遅い気がする。 銀八をぎろりと睨むと、彼はやれやれとばかりに息を吐いて手をきちんと動かし始めた。 暫く作業を続けていると、は鞄の中でなにかが振動している音に気づいた。 手にしていた数枚の紙の端を摘んだまま、逆の手で鞄をあさって振動の元である携帯を手に取り、液晶を確認する。 ――山本武。 「先生、ちょっとごめんなさい」 断りを入れてから通話を始める。校内での通話は極力自粛するように言われているが、禁則事項ではないので銀八もなにも言わない。勿論、授業中での使用は論外だが。 「もしもしー」 『おー、。今ちょっといいか?』 「うん。どうしたの」 決して久しぶりとは言えないけれど、以前ほど頻繁には聞けなくなった彼の声。 あちらに何事かがあったのだろうか。どこか緊張したこちらを余所に、山本は変わらぬ明るい声で要件を口にした。 『赤ん坊からの伝言。面倒がそっちに飛ぶ、だってよ』 問題はこっちの方だった。しかも情報的には遅い。 「んー、伝言もらうの一日二日遅かったかな。既に一度撃退済み」 『……大丈夫か?』 「うん。なんとかね」 『赤ん坊が色々手を回すって話だし、もうちょっと勘弁な』 「分かったよ、ありがと。ツナは元気?」 『ああ。そっち行ったら顔見せがてら、ラーメン食いたいって言ってるぜ』 「あさりラーメンでいいなら幾らでも」 くすくす笑い、それじゃあまたと通話を終える。携帯を鞄に放り投げると、摘んだままの紙をホチキスで留めた。 「今の、彼氏か?」 銀八の、どこか意地の悪い笑いを含んだ声。はしれっとした顔で答える。 「親戚ですよ、並盛にいる」 「そういやお前は途中入学組だったか」 「はい。入学してから、この学校がエスカレーター式だって知って驚きました」 ここ銀魂高校は、小学校から高校までは一貫校。試験はあるが、銀魂大学への入学も高確率で出来る。 小、中学校のある敷地と、高校大学のある敷地はそれぞれ別の場所だが、概ね行き来できる範囲であり、内包する顔ぶれはあまり変わらない。 優秀校とも言われ、世界に通じるような優秀な者を輩出している。 その傍らで、銀八が担任をしているZ組の面々のような、癖がありすぎたり学力が低空飛行の者たちも。 上から下まで面倒を見る学校、というのがの印象だ。 銀八はどうでもよさそうに相槌を打つ。 「つーか、普通は自分の入る学校とかって調べねえ?」 「最初は地元の並盛高校に進学するつもりだったんですよ。急遽事情でこちらに来たもんで」 「並盛ならこっからそう遠くねーだろーに。まあ、近場のが面倒くさくなくていいか」 「そですよ」 言いながら、銀八が『事情』に突っ込みを入れないでくれないことにホッとした。 嘘をつくのも言葉を濁すのも、慣れていないとは言えないが疲れてしまうので。 その後もかなりどうでもいい会話をしながら作業を続け、最後の書類を纏め上げる。 「……よし、終わった!」 窓の外に視線を移せば、既に真っ暗だった。なんやかんやと作業量が増えていったことにも問題があるだろうが、それにしても冬の日の入りはあっという間だ。 明るい内に帰りたかったのにと呟き、は鞄を手に取って帰り支度を整える。 「それじゃ、お疲れさまでした」 「ありがとなーってちょっと待てコラ。送ってくから」 いそいそと帰り支度を始める銀八に、は少々戸惑う。 ――ありがたい申し出だけど。 困惑している微妙な表情を読み取られたらしく、銀八が片眉を上げた。 「なんですかァ、先生が一緒じゃ不味いっての? 担任教師として生徒の不純異性交遊は見逃せねーなァ」 「なんで不純異性交遊なんですか。決定ですか」 「あれ、違った?」 「違います」 銀八は、ふぅん、と気のない返事を寄こし、国語準備室の戸を開けた。 「ほら、行くぞ」 「でも」 「なんか知らねーけど、なにかを『撃退する』ような状況に置かれてるんだろ」 撃退――電話の件を思い返しながら、不味かったと今更気づく。というか正直、銀八がそんな所に反応するなんて思っていなかった。 「いや、大丈夫ですよ。言葉遊びみたいなもので……」 「そんでも俺に付き合わせて遅くなっちまったんだし。せんせー心配だからをちゃんと送っていきますゥー」 断ったらイチゴ牛乳おごってもらう、という意味の分からない脅しと共に彼はの手を引っ張る。国語準備室から出て鍵を閉めた。 職員室に鍵を置きに行って、校門を出る。 「先生、スクーター持ってなかったっけ」 「調整中。さっさと行くぞォ、腹減ったし」 先を行く銀八の後についていきながら、は自分のお腹も相当減っていることに気付いた。 自宅に帰っても誰もいない。唯一の家族である祖父は働きに出ているし、自炊も面倒な気分だ。 銀八の横を歩きながら、は提案する。 「せんせ、自炊ですか?」 「作ってくれる彼女募集中」 「それはどうでもいいんですが」 さらっと流すと、銀八がつまらないとかなんとかゴネ出す。それもあえて無視した。 「もし自炊面倒だーとか思うなら、うちのラーメン食べて行きませんか。帰り道にたぶんおジィ居ると思うんで」 「おジィって……お祖父さんか? ラーメン屋?」 「屋台ですけど。あさりラーメン美味しいですよ」 「おー、いいね。そんじゃお誘いされますか」 お金は自分持ちでお願いしますと一言加えつつ、は銀八の髪を眺めた。 全然色が違うのに、そのふわふわ感が、大切な薄色の髪の友人を思い起こさせる。 およそ2年。もう少しで3年だ。 並盛から離れて、それまでの騒ぎとは種の違う喧騒に身を置く自分は、果たして彼らが望んでくれたような平和に身を置いているのだろうか。 ――ツナが望んだものとは違うんだろうなぁ。 「おい、ぼーっとしてると車に轢かれるぞ。神楽じゃあるめェし、死んじゃうからね」 「神楽ちゃんを何者だと思ってるんですか、センセは……」 銀八の声で思考から浮上し、何食わぬ顔で歩を進める。 考えても仕方がない類のことを、延々と廻らせ続けても仕方がない。 今はとにかく、 「おお。はしたない音が鳴ってるなァ、」 「はしたない言うな」 お腹がすいた。 銀魂と復活の混合夢です。が、復活は殆ど関わりがないので、実質は銀魂夢。 拍手掲載日/2010・6・11 個室移動日/2010・7・24 |