ふたりの時間



 窓の向こうに見える広場で子供が駆け回る様子を見ながら、
「この国は平和だな、とりあえず」
 同郷の少年は呟いた。
「……、その『とりあえず』って不吉だから言わないでよ」
 ある意味で無礼かつ不安な発言をする彼に、は苦笑いを浮かべた。
 は少しばかり寒さに中てられて、今は温かな喫茶店の中にいる。
 先ほど注文したクッキー(魔王風)とお茶を手にしつつ、人々の営みを眺めていた。


「完全に二人だけというのは、久しぶりだな」
 外に視線を固定したまま、が呟く。
 も窓の向こうを見つめつつ、同意するように頷いた。
 こちらの国に来て暫く経つ。
 大半の時間は招かれた城にいるし、そこではそれぞれに別の事をしているし、そうでない時はたいてい誰かしらが側にいる。
 完全にと二人きりというのは珍しく、は彼と一緒にあちこち旅をしていた時が、妙に懐かしいものだと思ったりもしていた。
 懐かしさを感じるほど、昔の事ではないはずなのだが。
 は適度な甘みのクッキーをかじり、咀嚼して飲み込む。
 どこら辺が魔王風なのか全く分からないが、美味しい。
「なんか妙な感じだね」
「なにがだ。クッキーの味がか?」
「違うよ。なんていうか……あんまりコレを気にしなくていいっていうのが」
 言いながら、は軽く右手を上げる。
 は「あぁ」と頷いた。
 こちらに来て、もたくさんの変化を与えられた。
 良くもあり、悪くもある。
 中でも強烈というか、悪さの最もたる物は、に与えられた『魔王の第二婚約者』の称号だ。
 しかし、それとて良い面――ハルモニアから手を出される心配が全くない――を思えば、なんとなくマシな気がしてしまうのが不思議なところ。
 ふいに、窓の向こうを通る女性の視線が、いちいちこちらを見ていることに気付く。
 正確には『こちら』ではなく、『』を見ているのだけれど。
「というか……相変わらずはホントに目立つよね」
「ん?」
 窓の外から視線を外し、こちらを向いたに、はそ知らぬ顔で茶を飲む。
「……女の子がガン見してる」
「敵でないなら放って置けば良い」
 ――そういう意味ではなしに!
 はわざと大きく息を吐いた。
 ちらりと彼を見れば、口端を上げている。
 ――全くもう。
 年を経るごとにどんどん食わせ者になる幼馴染、兼、家族。
 昔ならば、女の子の熱視線だの好意だのにオタついていただろうに。
 彼自身にも見目に多少の自覚があるのか、それを武器に使う事もある。
 といる時はそういう素振りを全くと言っていいほど見せないし、ましてや顔向けできなくなるようなことは絶対にしないが。
 必要とあらばなんでもやる。
 それは、とて同じことではあったけれど、自分にはそこまで人を翻弄する技能はないと彼女は思っていた。
「なんかさ、こっちの国って、男同士でも婚約だの結婚だの大っぴらにできるわけじゃない?」
「そうだな」
「……まがり間違えば、とヴォルフが、とかあったかもね」
 言った途端、の顔が歪む。
「こちらの文化文明に文句はないが、もしそういう事態になったとしたら」
「たら?」
 は不敵な笑みを浮かべ、
「相手を脅して、丁重にお断りするか、させる」
 恐ろしい言葉を吐いた。
「怖いなあ……」
「個人的には、ヴォルフとルックが婚約者になったら面白いと思うな」
「うっわぁ! 本人たちが聞いたら怒るよそれ!! 完全に水と油じゃない。性格似てる気がするし」
「同族嫌悪、というやつだな」
 くつくつ笑う
 彼らもこんな所で話の肴にされているとは思うまいと、失礼ながらも笑ってしまった。
 はひとしきり笑い終えると、をじっと見つめた。
 表情を引き締めた彼に、何事だと目を瞬く。
「なあ
「んー?」
「好きだ」
 ――なんだ、どうしたんだは。
 多少の動揺は勘弁願いたい、なにしろ本当に唐突だったから。
「きゅ、急にどうしたの」
「いや。たまには口にしないと伝わらないと思って」
 は両手で茶のカップを包む。
 まだ温かいそれが、手の平に伝わってきた。
「……伝わってるよ。毎日、いつだって、どこでだって」
 彼は場所も時間も関係なく、自分のことを大切にして、包み込んでくれている。
 紋章という鎖で繋がる以前から。
 売られて、出会って、家族になって。
 取り巻く状況は変わっても、はずっとのまま。
 だからのままでいられる。
 けれども自身は、少しばかり憂うことがあるようで。
「今になって思うんだ。もしとずっと一緒にいて、曖昧な関係じゃなくて、恋人として強い関係を持っていたら」
 一拍間を置き、
「ユーリやコンラッドに、横槍を入れられずに済んだかもってね」
 微笑んだ。
は自分がはっきりしないって己を責めるけど、それはオレの方だったんだ」
「違うよ」
「違わない。紋章で縛り付けてるからとか、今よりもっと苦労をかけるかも知れないとか、なんだかんだと理由を付けて――結局、怖がってただけだ」
 ――怖い?
 声に出さず訊ねたの指に、の指先が触れる。
を全部己のものにした――約束をした瞬間に、君の周りにいる者ぜんぶが邪魔になって、喰らい尽くすかも知れない、とかね」
 自嘲染みた笑みを浮かべている彼の指が、つぅ、と動かされた。
 爪先をなぞるその動きを見つめながら、ははっきりと告げる。
は、自分で思うよりずっと優しいから、そんなことできないよ。けど、万が一そうなったら……」
 にこりと笑う。
「私が止める。――でしょ?」
 自分たちは運命共同体。魂は寄り添い、ひとところにある。
 片方が昏い場所に堕ちたら、もう片方が引きずり上げる。
 自分たちは互いにそれが出来ると、は表情を緩ませた。
「……やっぱり駄目だ」
「え、なにが」
 がりがり後頭部を掻いたは、荒々しく溜息をついた。
「相手が魔王だろうが神だろうが、渡してなんてやれない。ルックでもテッドでもでも無理」
「わ」
 ぎゅぅっと手を握られ、カップが傾いて液体が零れかかる。
、あぶな」
「好きだよ
 右手の甲に口付けを落とされ、顔が真っ赤になる。
 紫魂の紋章が、存在を淡く浮かび上がらせていた。



なんか、久々にちゃんとした坊夢っぽい…?
2009・3・24