互国響動 46 ―紋章の世界―


「うっわぁ……スゲーなあ……」
 おれは、目的地である『魔術師の塔』へ入った途端、あんぐりと口を開けた。
 隣のが口元に笑みを浮かべている。
「ユーリ。お前の城の方がでかいだろう?」
「いや、そういう問題じゃねえよ……なんかすっげぇ。なんだこの階段は。光ってんだけど」
 一歩、塔の内部に足を踏み入れた途端、世界の色は青に変わった。
 青い炎に、青白い壁。
 天を突くといっても過言ではないほど、猛烈に高い塔の移動手段は、どうやら階段らしい。
 その階段が淡く明滅していることに、おれは驚いていた。
 唯一、きちんとこの場所を理解してるルックは、ここへ来ると決まった時から、猛烈に機嫌を急降下させていて、こちらのアクションに殆ど反応を示さない。
 原因は、ここに彼の師匠がいて、顔をあわせたくないかららしい。
 師匠に合うのが嫌ってのは、よく分からない。まあ、おれなんかには推し量れない、色々なことがあるんだろうな。
、この階段は……」
 コンラッドの『危険はないか』と言わんばかりの試案顔に、は軽く肩をすくめる。
「光ってるからって、階段が襲ってくるとでも? 安心しろ。それはレックナート様のご好意だ。……ルック、いつまでも不貞腐れているなよ」
 注意され、ルックは鼻を鳴らす。
 ああしていると、どうにもヴォルフに似ている気がしてならない。
 見目も麗しいしな。美少年で。
 ルックは階段の傍に立つと、手すりを指先で叩いた。
「この階段を全部上っていくのはキツイだろ。だから、この塔の主がちょっと仕掛けを動かしただけさ」
「仕掛けって、アニシナさんのみたいな……魔道なんたらーとかじゃねえよな?」
「違う。あんな怪しいものと一緒にしないでくれない? ……とにかく乗って、『最上階』と念じればいい。僕は先に行くよ」
 彼の足が、階段に乗る。その瞬間、姿が掻き消えた。
「ユーリ、一緒に行きましょうか」
「独りで平気だって!」
 本当はちょっぴし不安だったりするが、そこはぐっとこらえて階段に飛び乗った。
 最上階、最上階、最上階。
 3回念じた途端、誰かがおれを引っ張る感じがした。
 視界に入ってくる風景が変わる。向かって右に扉がある余り広くはない空間に、ルックの姿があった。
 おれは一歩踏み出し、階段から離れる。
 続いてコンラッド、が現れた。
 うーん。眞魔国にもこういうのがあったら便利だろうなあ。
 いや、でもこんな強烈に高い塔もないし、城の内部ぐらいは普通に歩くべきか。
 無言のについていくようにして、おれとコンラッドは大扉の前に立った。
 ルックは何も言わずに扉を開く。
 お、おい。入りますとか、そういうのはいらないのかよ。
 プライバシーってもんがあるだろ。
 おれの内心突っ込みなど理解されるはずもなく、ルック、に続いて、室内に入った。
 背後で扉が閉ざされる。
 青白い炎が、あまり明るくはない室内を照らしつけている。
 部屋の奥手には祭壇のようなものがあり、その前にひとり、長い黒髪の女性が静かに立っていた。こそりとも音を立てぬままに。
 彼女の瞳は閉じたままだ。寝てるのではないと思うが。
 ……なんか、妙に緊張してきたんですけど。
 そもそも、なんでおれはここにいるんだ。
 が付き合えといって、おれがそれを受けたからだけどさ……付いてくる必要性は特にないはず。
 静かすぎて、ため息でもつけば響きそうだ。
 女性はうっすらと微笑んだ。
「よく、いらっしゃいました。まずは、要件を済ませてしまいましょうか」
 透き通った、綺麗な声だ。
 彼女が何かに仕える巫女だと言っても、おれは意外に思わないだろう。
 雰囲気は充分だしな。
「それではこれを。トラン大統領シーナからの手紙です」
 が進み出て、白い封筒を彼女に渡す。
 それを指先でなぞると、封を開けて中を確認した。
 とはいえ、彼女はどう見ても目を開けていない。もしかして、目が見えないのだろうか……?
 指で文字をなぞるでもないし……目を閉じたまま、普通に手紙を読んでいるようにも見える。
 彼女はひとしきり手紙を読む(で正しいのだろうか)と、それをひとまず祭壇の上に置いた。
「……さて。改めて……お帰りなさいルック。歓迎しますよ、・マクドール。そして異界からの方々も。よく参られました」
「お久しぶりです、レックナート様」
 が頭を下げる。おれも釣られて頭を下げた。
「お名前を伺ってもよろしいですか、異界の方々」
「は、はいっ、ええとおれは、渋谷有利原宿……違う。渋谷有利です。シブヤが苗字でユーリが名前。眞魔国で魔王やってます」
「私はコンラート・ウェラーと申します」
 コンラッドはこちら流に名前を言い換えている。
 彼女は静かに微笑んだ。
「わたくしはレックナート。バランスの執行者であり、運命を見守る者」
 バランスの執行者ってのは、なんだろう。
 眞魔国でいうところの初代眞王みたいなもんだろうか。
 魔族を見守るのと、運命を見守るのじゃ、だいぶ意味合いが違うと思うんだけど。
 レックナートさんは、ちらりとに目配せした。いや、目を閉じているから、その気配がしただけだけど。
 は意味を汲み取ったらしい。
 彼女に、自分たちが置かれている状況を、上手い具合に簡略化しながら話して聞かせた。

 話を終えたが黙ると、レックナートさんは緩やかに首を振る。
「……この世界は確かに多くの異界から干渉を受けます。時には異形や異界が潜り込み、天秤を傾けることもあります。ですが」
 一旦言葉を切り、続ける。
「生と死の紋章に喰らわれた魂が、別界へと赴く……常ではありえません。まして、テッドのような『』にとって重要な者を、あの紋章が手放すなど」
 にとっても、にとっても、あの『テッド』は重要な人物だ。
 付き合いが短いおれにも、よく分かる。
 押し黙っていたルックが口を開いた。
 不機嫌そうなのは、未だ変わらずだ。少しは落ち着いてもいいだろうに。
「引き剥がされたんじゃないですか。恐ろしく力ある者なら、可能でしょう」
 ――力ある者。
 おれは、とっさに1人の男のことを考えた。
 コンラッドも同じ事を考えたらしく、互いに目が合う。
 こっちの世界のことは、全然分からない。でも、もしに……別の世界にいる人にちょっかいをかけられるとしたら。
「あ、あの……さ。もしかしてその力あるヤツって……初代眞王じゃないかな」
 が軽く眉を上げる。
 腕組みをし、顎を軽く撫でた。
「……確かに。そもそもは、眞王がお前の后にと呼んだんだったな」
「その眞王とやらが何を望むか、その本意を窺い知る術は、わたくしにはありませんが……けれど、は眞魔国にあるべき存在ではない……」
 その言葉は聞き捨てならない。
 おれはそれまでの緊張だの困惑だの、一切を忘れてレックナートさんに訴える。
「なっ、なんでですか!? 別に眞魔国は危ない国なんかじゃ……!」
「そういう問題ではないのです。こちらに、今は未だ大きくはないですが、異形の力が流れ込んできている。――それも、良いものではない」
 は腕組みをしたまま、ルックを見やった。
「何かあるか?」
「…………確かに。注意しないと気づかない程度だけど」
 おれにはサッパリだ。
 隣に控えているコンラッドも、難しい顔をしている。
 異世界組みは、事情がつかめません。ちょっとした疎外感。
 レックナートさんは祭壇の方に身体を向け、溜息をついた。
は良くも悪くも、強い『関係』を結びます。あちらとこちら、本来なら交わらないもの……。互いに歪みを生みます」
 柔らかい口調なのに、何故だか鋭く冷たく感じる。
 コンラッドが
「何が仰りたいのですか」
 問いかけた。
 レックナートさんはこちらを向かず、静かに答える。そして、おれにとっては衝撃的な言葉を繰り出してきた。
「シブヤ殿。決して、と結ばれないで下さい」
「は……はぁっ!? え、ちょっ……それってどんな関係が!?」
 いきなり自分に話が及んで、おれは軽くパニックになった。
 しかも、なんでと結ばれちゃ――いや、いやらしい意味じゃなくてさ! 一緒になっちゃいけないってんだ!?
 理由を求めるおれは、かなり息巻いていたらしく、コンラッドに肩を掴まれた。
「ユーリ、少し落ち着いてください」
「だ、だってさあ!」
「シブヤ殿。……婚姻は、互いを強く結びます。魂を結ぶ行為なのです」
 ルックが言葉を引き受け、続ける。
「つまりさ、魔王のあんたと婚姻なんかしたら、を介してあんたのいる世界とこっちの世界の関係が、否応なしに強化される」
「不都合が……あるのかよ」
「さっきの話を聞いてただろ。そっちの国から流れる『良くないもの』を、こちらとしては遮断しておきたいんだ。けど、やテッドの要素があるから、それは難しい」
 つまり。
 関係を強めたら、互いの世界の均衡が崩れてしまう――かも知れない。
 だから、できればを早急に此方の世界へ、『ちゃんと』返して。おれは手を引けと、そう言うのか。
 ――受け入れられるはずがない!
「おれ……おれはそんなのっ……。と離れるのなんて……!」
 彼女と結婚したいとか、そういうんじゃない。
 そんなでかいことじゃなくて。
 よく分からないけど、とにかく離れるのだけは嫌だ!
 奥歯をかみ締めるおれを見て、が軽く手を上げた。
「レックナート様。現状では、を完全にこちらへ戻すなんて不可能ですよ。眞王とやらに簡単に引き戻されてしまうでしょうし、『魔王のユーリ』も認めるとは思えない」
「……ですが」
「暫く様子を見るのが最善では? 何しろ情報が足りない。互いに調査をして、それから物事を考える方が建設的だと俺は思うんだが」
「………ええ、その通りですね。とにかくシブヤ殿。を無理矢理手籠めにするようなことは、お止め下さい。互いの世界のためになりません」
「そ、そんなことしませんよ!」
 思わず絶叫した。
 おれはそんな無体なんてしねえっ!!


 ユーリたちがルックに連れられて部屋の外へ出た後、レックナートは残っているに意識を向けた。
 彼女は小さなため息を転がす。
。なぜシブヤ殿をここへ」
「観光……ということにしておきますよ」
「……抜け目のない人ですね、あなたは」
 トランからの手紙を届けるだけなら、何も彼らを連れてくることもない。
 は、明らかにレックナートと引き合わせるために、彼らを連れてきた。
「わたくしに、彼らを見守れというのでしょう」
 面識があれば、縁(えにし)が強化される。
 魔力や存在を探りやすくなり、利を生む。
 広がりつつある不穏な気配は、明らかに異界からのものだが、ユーリたちの魔力を知っておけば、魔力の質が理解できる。
 別界からの物事に対して、反応し易くもなる。
「なれど……わたくしは彼らを少なからず危険だと思っています。この世界の均衡を崩していく」
「レックナート様。……そもそも、が最初にあちらへ行く前から、多少なりとバランスは崩れていたのではないですか?」
「それは……」
「あなたは、なんらかの原因を知っている。だから、ルックが注意して探さないといけないぐらい薄い魔力に気づけた」
 押し黙るレックナート。
 は続ける。
「知っていたから、ルックを眞魔国へ来させた。行き来させ、報告をさせるために」
 レックナートは、表情を変えずに静かに頷く。
 真の紋章を宿すほどの運命を持ち、強い星の――特に天魁星と呼ばれる――導きを受けた者たちの中で、は最も鋭く聡い。
 塵ほどの事象を綺麗に組み合わせて、起こり得る事柄を予測する。
 彼は戦時中、軍主という立場であったが、軍師としても充分に力を発揮できた。
 戦いに身を投じたことで否応無しに育てられた、彼の力。
「……恐ろしいものですね、人の成長というのは」
「眞王のことも知っていたのですか」
「いいえ。ただ……以前に、こちら側からあちらへ、何かが移動している可能性は考えていました」
「テッドの魂のことでは?」
 いいえ、とレックナートは首を振る。
「あちらの力がこちらへ手を伸ばしていた所へ、偶然にか必然にか、移動できる条件が揃った何かがあるはずです。『物』か『人』かは不明ですが」
「異界間移動なんて、普通にできるものじゃないでしょう」
「ええ。ですから、高位の紋章術師が関わっている可能性が高い……」
 高位の紋章術。
 が思わず顔を歪めた。
「……ハルモニア」
「可能性だけですが」
 ハルモニア神聖国。
 色々と黒い噂が付きまとう、真の紋章のためなら簡単に戦争まで起こす国。
 にとってもルックにとっても、正直、良い思い出は皆無。自然と顔が険しくなっている。
「ルックには伝えたんですか?」
「まだです。確証を得てからと」
「……ま、そっちはオレが伝えておきますよ。ハルモニア関係なら、ルックが今は一番詳しい。レックナート様はユーリを……彼らがこちらにいる間は気にしておいて下さい。調査はにも協力してもらいますよ」
「お願いします。それから、このことは――」
 は笑む。
「分かってます。必要最低限に、ですね」
「ええ」

 部屋を出て行くの後姿を見送って、レックナートは祭壇へと身体を向ける。
 108星が集まる気配はない。
 彼らを必要とする運命の躍動は、感じられない。
 だが、かつての天魁星や数名の宿星たちの星は、確実に動いている。
「……異界の星も見えれば良いのですが」
 面識のない異界の星は、レックナートには見えない。
 面識があっても、小さな点でしか見えないそれを見ながら、不安が杞憂でありますようにと、彼女は祈った。



2010・5・1
突っ込んではいけません…。