互国響動 45 ―紋章の世界―



「……ああいう大統領っていうのもアリなんだなあ」
 貸し与えられた部屋でひとりごちるユーリ。
 一緒に部屋にいるは肩をすくめた。
「アリっていうか……ユーリは真似しちゃだめだよ。シーナは元からああいう性格で、周りも分かってるから、まだなんとかなってるだけだし」
 本当に真似しちゃ駄目だと、もう一度強く言われた。けど、しようにも出来ないと思う。
 くすくす笑う彼女を、可愛いなあなんて腑抜けた目で見ていたら、扉が開いてが顔を出した。
「ユーリ、すまないが頼まれてくれ」
「え、おれ?」
「ああ。さっきシーナに頼まれた物があるだろう。あれを届けに行くんだが、付き合ってくれ。コンラッドも一緒だ」
「いいけど……大丈夫かな」
 道中トラが出たりしないだろうかと腕を組むユーリに、は笑った。
 ルックに送り迎えをしてもらうから、大丈夫だと。
 残される格好になるの眉が、自然と寄る。
「私は留守番なの?」
「そう。残念だけどお留守番。テッドのお墓参りをお願いしたいんだ」
「あー……そっか。うん、分かった」
 テッド。
 の親友の彼。
 現在は眞魔国で眠りに落ちているが、こちらでは既に故人ということになっている。
 墓があるのも当然だが、妙な感じがした。
「じゃあ……ユーリ、行こう」
「あ、ああ。じゃあ、気を付けて」
「大丈夫だよ。グレッグミンスターの中だから」
 手を振るを背に、ユーリとは部屋を出た。


 ユーリたちがルックと共に魔術師の島へと行ってしまってから、は墓参りの準備を始めた。
 とはいえ、さして何か特別なものを準備するわけでもない。
 武器を着け、グレミオに出かけるの旨を伝えて外出した。
 久方ぶりのグレッグミンスターは、以前に来た時と変わらぬ活気を保っていた。
 民が元気に動き、生活をしているのを見られるのは、とても幸いなことだ。
 自分たちの戦いが無駄でなかったのだと、より強く感じられるから。
 商店の立ち並ぶ区画を抜け、目的地へと足を向ける。
 街の喧騒から離れた閑静な場所。そこに白い墓が立ち並んでいる。
 は大きな樹の下にある墓の前に立った。
 小さな、白いお墓。テッドの墓だ。
 でも、その墓の下には誰もいない。
 眞魔国に身体があるというからではなく、彼は本当に、何も残さずに逝ってしまったからだ。
 生と死の紋章は、元保持者のテッドの身体を、塵ひとつ残さずに喰らい尽くしてしまった。
 墓碑は、形だけのものだ。
 墓周りの掃除をして、息をついた。
 改めて墓碑の前に立つ。
「……テッド、こっちでは久しぶり」
 返事は当然返ってこない。
 風がの頬を撫ぜる。
「私たち元気でやってるよ。最近、ちょっと楽しいの。やルックやが側に居てくれるからかな。ユーリやコンラッドが、私に構ってくれるからかも」
 言い、口を閉じた。
 本当に、ここ暫くはなかったぐらい、毎日が楽しい気がする。
 忘れていた感覚が、じんわり戻ってきている気もした。
 何年も何年も同じ姿で過ごし続けてきて、削れてしまっていた何かが、少しずつ戻ってきている。
 ――普通の『人』としての感覚、かも知れない。
 仲間に囲まれて笑っていた頃の――自分が人間兵器だと自覚する前の、暖かな、彩のある世界。
 恥ずかしいような、こそばゆいような。
 と共にあることで、指先に血が通うのとは違う、何か。
「…………変わってないつもりだったのになあ」
 独りで旅をしている間に、気付いたら世界から色は失われていた。
 急速に戻り来る色彩は、眩しすぎる位だ。 
『好きな奴でも出来たのか? ……すっげームカつく。まあ本命決まったらきっちり恋愛しろよ。あ、でも眞王は止めとけ』
「え!?」
 突然聞こえてきた声に、は周囲を確認した。
 誰もいない。
『あれ? もしかして俺の声、聞こえてるか?』
 信じられない。
 は震える声で、彼の名を呼んだ。
「テ、テッド……?」
『おう』
 物凄く簡単に肯定された。
「な、なんで、どうして。どこにいるの!!?」
『声だけ声だけ。俺の身体は……ええと、血盟城だっけ? あそこにあるんだろ。魂ってか、心の方はもっとワケわかんねえとこだし』
 姿なき声。
 けれど確かにテッドの声で、は涙を零しそうになり、慌てて拳でぬぐった。
『こっちからも、姿は見えてないんだ。お前の声だけ。どうなってんだ?』
 は落ち着いて、テッドに現状を話して聞かせた。
 墓の前に(ちょっと言い辛いけど)いると。
 テッドは気にした風でもない声で、そうかとだけ言った。
 空中に向かって話しかけているという、ある種マヌケな図のまま、は尋ねる。
「テッドはどこに居るの? 魂って……生と死の紋章の中じゃなくて?」
『ああ。ざっと説明しとくとな――』

 テッドが話をしてくれたその内容は、にとって、少しばかり飲み込みにくいものだった。
 今、彼はどことも知れぬ薄暗い場所にいて、そこは眞王が支配をしている所で。
 眞王――ヴォルフラムとそっくりのその人――は、まずテッドに昔語りをさせたという。
 後、話の中に出てきた自分を、ユーリの婚約者にするために引き寄せた。
 そこから先は、眞王の与り知らぬこと、らしいが。

「じゃあ切欠はともかく、私がこちらに帰れないのって、やっぱり魔王ユーリのせいなのかな」
『さぁ……俺にはよく分からない。ただ、お前を眞魔国に縛り付けてるのは、例の魔王の力じゃないか? 眞王、手ぇ出してないって言ってるし』
「にしても、眞王もなんで私を呼んだんだろう」
『それについては悪い。完全に俺のせいだ』
 テッドは、自分が眞王にべらべらとのことを話さなければ、こんな状態にならなかったかも知れないと謝った。
 は笑う。それは今更言っても詮無いことだ。
 それに、あちらに行ったからこそテッドとまた会えたし、どういう訳かこうして会話もしている。
 悪い事柄より、いい事柄の方がきっと多い――今のところは。
『それから眞王は――には、繋がりの力があるんだって言ってたな……。異地でも、自身を安定させられる力だって。特殊なんだろ』
「なんだろうそれ。自覚が全くないよ」
 自分の身体を眺めながら言うが、当然、何かがある訳ではない。
 右手の紋章も、あちらの世界で何かがあったわけではない。
 普段は沈黙したままだし。
 考えても解らない類のことを延々と思考し続けても、疲れるだけだ。
 話を変えようとが口を開く前に、テッドの方が言葉を発した。
『ところでお前、魔王と……その、男女の関係になってたり、しないよな』
「……はぁ!?」
 はかなり間の抜けた声を発した。
『いや、お前がそいつに惚れたんなら、俺がとやかく言うことじゃないんだけどさ』
「話が飛びすぎだよ。意味が解らない」
 額に手を当てて溜息を吐く
 ――ユーリと男女の関係? 想像したこともない。
 なんていうか、彼と一緒に居るととは違う意味でホッとするというか、安心するし、告白染みたことだってされているけれども。
 考え、ふと首を傾げる。
「……ねえテッド。誰かを大事に思うことと恋愛感情って、違うはずだよね」
『は?』
 今度はテッドが間抜けな声を出す。
『なんだよ急に』
「うん……。なんだろう。昔は分かってたはずのことなのに、今は……」
 好きだと言われれば嬉しい。
 でもそれが恋愛の上でなのか、そうでないのか、正直判断がつかない。
 仲間は大切にしたい。
 家族も友達も。
 しかし、恋愛ごととなると、全く身に置き換えられない性質になっている。
 ふざけた話だ。誰かが聞いたら、陰口を叩くか殴る程度にはふざけた話だ。
「……遠くにあるの。物凄く遠くに」
 ある一点から、は強力な紋章を得て、人間というよりもはや兵器に近い存在になってしまった。
 加えて、不老であるが故、相手を失うかも知れないという怖れが半端ではない。
 色々な要素が重なり合って、現状に戸惑い、感情が追いついていかないの状態を、テッドは理解することができた。
 かつては自分もそうだったからだ。
 暫しの沈黙の後、テッドは深く深く溜息をついた。
『お前――停滞した生の中で、感情が磨耗しちまってるんだよ。お前やに会う前の俺がそうだった。ほんとは自覚があるんじゃないか?』
「まあそれは……でもテッドは300年間もの時間があったからでしょ。私はまだ若造だよ?」
 過去へ飛んだりもしたが、時間としてはわずかなもの。テッドのそれより断然短い。
『けど、時間の流れからは隔絶されてる。自分で気付かないうちに、色々なもんが削られてるんだ』
 やはりそうなのだろうか。よく分からない。
 眞魔国に行く前までは、そんなこと考えもしなかったし、『普通に』生活できていたから。
 が横にいてくれたら、それがにとっての幸せで。
 ――考えてみれば、昔はとだって、もっと普通の子のように――たぶん恋愛してたのに。
 自身も戦争で少なからず変わってしまっていたから、お互いの問題だろうけれども。
『お前、昔から恋愛ごとには腰が引けてるしなあ。今は回りが強引だから、イヤでも意識するんだろうけど。でも、そういうこと聞くってことは、誰か好きな男でもいるのか?』
 好きな男。
 の顔が、テッドが、ルックが、ユーリが、コンラッドが――次々と知り合いの顔が現れては消える。
 自問自答。でも、答えはやって来ない。
 押し黙っているをテッドが心配して、
『大丈夫かよ』
 声をかけてきた。
 は頷いた後、動作では伝わらないのだと思い出して、声を出す。
「うん、大丈夫。でも、誰を好きかなんてわかんないよ。みんな大事なんだもの」
『……まあ、が俺やと居た頃みたいに、元気になってってくれてるのは、嬉しいんだけどな。ちょっと複雑な気分だけどさ』
 テッドが苦笑する気配が伝わってきた。
 顔を見られればいいのに。
「またここに来れば、話できるかな」
『さあなあ。今回のこれは、偶然だと思う。――あ、そうだ。、お前気をつけとけよ』
 何にと問えば、彼は少々言葉を切った。
 彼自身、その物事に対して理解しきれていないのかも知れない。
 暫しの後、ため息が耳に入った。
『詳しいことは分からないんだ。眞王のヤローは、お前と魔王をくっつけたがってるような気もするし。何かに利用する気でいるみたいだ。それに』
「それに?」
『妙な力がそっちに流れてる。原因は、眞魔国の方にあると思うんだ』
「……分かるの?」
『いや。はっきりとは』
 勘だと告げるテッドに、は眉を潜める。
 彼の勘は、300年の長い間に培われたものだ。
 やたらと当たる。単純な勘だからといって、ないがしろにはできない。
「怖いなあ。どっちにしろ穏やかな話じゃないでしょ、それ」
『だな。かといって警戒してたって、なるようにしかならないんだし。気楽にやれよ』
「まあ……そうだけど」
『…………だ……て』
 急に、テッドの声がかき消され始めた。
「テッド!? どうしたの??」
『……だ。切れ、る』
 またな、とだけ、はっきり聞こえた。
 それ以後、声をかけてみても全く反応がない。
 は息をつき、彼と話ができなくなったのだと理解した。
 それにしても。
「変な力、ねえ」
 ――真の紋章以外に、何かがあるんだろうか。




2010・3・8