互国響動 44 ―紋章の世界―



「それじゃあ、坊ちゃんとちゃん……ルック君たちは、『シンマコク』にお世話になっているんですか」
 グレミオの目が、こちらでは異世界人であるユーリとコンラッドを見る。
 の保護者とも言える金髪の男性。
 混沌無形な話を、けれども、お茶を飲みながら素直に話した。
 いつでもどんな時でも、グレミオは自分たちの言葉を素直に受け入れてくれると、そう信じていたし、そしてそれは、こちらの思い込みではない。
 ユーリにとっては恐らく意外なほど、グレミオは簡単に納得した。
 コンラッドもグレミオが淹れたお茶のカップを手に、少々驚いている。
「そんなに簡単に信じてもらえるとは、思っていませんでしたよ」
「坊ちゃんやちゃんは、意味のない嘘などつきませんからね」
 つまり、意味があれば嘘をつく。
 さすがに自分たちを子供の時分から看ている大人は、こちらの性格を良く分かっていると、は苦笑した。
 自宅――マクドール家に帰って来るのは、5年ぶりほどだろうか。
 解放戦争からかなり経っているにも関わらず、解放軍リーダーであるの名や姿は、この国から一向に消えていかない。
 特にトラン共和国の首都グレッグミンスター……つまりマクドール家がある『ここ』では、戦争を経験したことのない10代前半の若者でも、の名前を知っている。
 どうも学生の教科書に載っているらしいのだが、現物をは見たことがない。
 戦乱経験者か、トラン城の歴史保管所で『英雄』の石像を見たかしない限り、顔でばれる心配はないはずだが、そうそう長居はできない。
 変に長居をすると「大統領になってくれ」と、現大統領から激しく申し込まれてしまうし。
 だからマクドール家に帰るのは、短くとも1年に1度の、ほんの少しの間だけだった。
 今回は、前回からかなり間が空いている。
 ルックの起こした戦争の件でだったり、遠方に旅していたりしたからだ。
「それで」
 グレミオは話を続ける。
「今回の滞在は、どれ位ですか?」
 は軽く首を振る。
「長居はできないだろう。ユーリがトランを見たいというのでこちらに来ただけだしな」
「そうですか……でも坊ちゃん、ともかく大統領に謁見をして下さいね」
 この前帰ってきた時には会わずに出て行ったので、グレミオは後で色々言われたらしい。
 懇願するように言われ、は溜息をつきながら頷いた。
「頑張ってね、
「何を言ってるんだ。君も一緒だよ、
「エーーッ! いやだ!! 堅苦しい!!」
 胸の前で、手をバツ字にする
 置いてきぼりをされているユーリは、首を傾げた。
「なあ、そんな堅苦しい所なのか? ……あ、でも王城だもんな。正装していかないと駄目だとか?」
「別に、そういうことじゃないんだけど」
「駄目ですよちゃん! こういう時ぐらいはきちんと正装なさってください!」
 息も荒くグレミオに言われ、は思い切り顔をしかめる。
 口唇を尖らせてそっぽを向いた。
 いやだ。堅苦しい服なんて着るもんか。
 眞魔国では居候という立場上、夕食会のドレスは断れなかったが、こちらは違う。
 確かにグレミオが言っている『正装』は、あちらのドレスとは異なる。
 基本的にはトランの民族衣装であるから、眞魔国で着たそれのように、妙に生地が薄かったり、フリルが付いていたりはしない。
 が、どちらにしろ面倒であることに変わりはないのだ。
 第一、大統領と謁見するといっても、その『大統領』はかつての仲間。
 初代、次代と、と共に戦った仲間だから、気負うことがない。
 その気負わない相手のために、正装なんて!
 むくれていると、コンラッドの忍び笑いが耳に入った。
「コンラッド?」
「……いや、俺たちの世界では見せてくれない態度だと思って」
「そう、かな」
 自覚がないが、大好きな家で、心から安心できる場所だから、そういう態度になるのかも知れない。
「とにかく正装はしません。シーナだって文句言わないよ」
「ということだ、グレミオ。謁見は良いが、正装は却下。……大体、シーナに見せるためだけにを着飾らせるなんて、勿体無いにも程がある」
 現大統領に向かって、この言いよう。
 遠慮の全くない2人に、グレミオは肩を落とした。
 話が区切れ、今まで押し黙っていたルックが、グレミオに紅茶のカップを差し出す。
「……お代わり」
「あ、はいはい」
 話に加わらないマイペースな紋章師に、グレミオは茶を注いだ。



 それから数時間後。
 たちは謁見待合室にがん首をそろえていた。
 無駄に柔らかいソファに腰を下ろし、は隣に座っているを見やる。
「……ねえ。ユーリたちも連れて来いって……大統領、何考えてるんだろ」
「さあね。でも、多分彼のことだから、興味があるってだけだろう」
 この場には、異世界組みの2人も同行していた。
 たちが居るとグレミオが知らせた所、大統領の返答は「全員連れて来いよ」だった。
 結果、彼らもここにいる訳で。
 眞魔国で王をしているユーリも、しかしここでは単なる来客人。
 明らかに緊張している魔王とは逆に、彼の名付け親はいつもと変わらない。
 長いこと王子だった者と、ある日突然魔王になった高校生の違いか。
 体を硬くしているユーリに、は苦笑する。
「大丈夫だよユーリ。シーナは……大統領はたぶん、あなたが思うより……なんていうか、相当」
「相当適当だ」
 が言葉を引き継ぐ。
 ユーリは目を瞬いた。
「そ、そうなのか?」
「失礼します。様、様。お連れ様。どうぞこちらへ」
 案内係の女性に声をかけられ、会話を中断して全員が立ち上がる。
 磨き上げられた廊下を行き、大扉の前に立つ。
 女性は一礼し、立ち去った。
 兵士が扉を開けると、目の前には深紅の絨毯。
 その先に、懐かしい顔がある。
 の後ろを付いて歩き、段差の前で立ち止まった。
 大統領の前で不遜な態度だが、全員、立ったままだ。
「やあ、シーナ。大統領とお呼びした方がいいかな?」
 大統領――シーナは、物凄く嫌そうな顔をして椅子から立ち上がった。
 騎士服に似た格好で、外套を羽織っているその男性は、の前に歩いてくると、ニッと笑った。
「なんだよ、他人行儀にさ。本当ならお前の国なんだし、仲間だろ? 名前でいいって」
「まあ、形式上不味いこともあるだろう。だから一応の確認だよ」
 肩をすくめるに、シーナは苦笑いする。
 相変わらずだと。
 次いで、に視線を向けた。
「よぉ、。俺と結婚する気になった?」
「ご挨拶どうも。馬鹿なこと言ってないでよ」
「へいへい。相変わらずつれないねーちゃんは。昔から決死のアプローチしてんのに」
「シーナ」
 鋭いの声に、彼は軽く手を振った。冗談だって分かってるだろ、の合図。
 状況が飲み込めず、驚いて固まっているユーリ。
 さすがに少々困惑気味のコンラッド。
 彼ら2人を見て、シーナは顎下に手をやる。
「ああ、こっちが異世界人?」
「シーナ。初対面で無礼を働くな」
「あー、悪ぃ。お前らの友達だってから、気ィ抜いちまってさ」
 こほんと咳払いをし、シーナは顔を引き締める。
「俺はトラン共和国大統領のシーナだ。我が国にようこそ。歓迎する」
「あっ……おれ、ユーリです。魔王やってます」
「コンラート・ウェラーです」
 それぞれ自己紹介を済ませた後、シーナはコンラッドの顔をまじまじと見た。
「……何か?」
「へぇ。あんた随分と色男だなあ」
 が肩をすくめる。
「眞魔国の――魔族の方々は、皆美形なんだ。お前、あの国じゃモテないぞ」
「うわー。でも美女も多いんだろ、ってことは! 俺頑張っちゃうよ!?」
「頑張るな」
 妙な漫才をしている2人に、は咳払いをした。
 この世界からは切り離されているとはいえ、他国の王ががここにいるのだ。
 あまり醜態を晒してはいけないと思う。
 シーナは後頭部を掻いた。
「……まあ、そうだな。すまない、ユーリ殿、ウェラー殿。俺の性分なんだ。あんまり堅苦しいのとか好きじゃないっていうか、苦手でさ」
「いや、なんとなく分かる気がす……じゃなくて、します」
「俺に出来ることがあれば、遠慮なく言ってくれ。出来る限り善処するからさ。……ところで
 視線をユーリからに移動させるシーナ。
 彼の視線は、どことなく期待に満ちている。
 次に出てくる言葉の予想がついた。先にがその内容を言ってやる。
「『そろそろ大統領にならないか?』っていうんでしょ」
「ご名答。さすが
 そりゃあ、会う度に言われていれば、予想がつく。
 答えの方も予想済みで、なお言ってくるのだから挨拶に近くなっている。
 はお決まりの台詞を返した。
「お断りする」
「だよなあー。分かってんだけどさあ、でも俺、大統領職って向いてないと思うんだよなー」
「確かに真面目な態度ではないだろうが、執務はきちんとこなしているだろう。もう長くやっているんだ。最後まできっちり頼む」
「へいへい。俺のお子様にも、お前のことはよーく言っておくさ」
「用件がなければ、これで失礼するが――」
「ほんっと、つれねえのな。なあ、お前らルックと一緒に来たんだろう? ちっと頼まれてくれよ。魔術師の塔に届けるモンがあるんだ」
 側近に言って、手紙を持ってこさせる。
 シーナはそれをに手渡した。
「良いよ。確かに受け取った」
「夜メシでも一緒に食わないか? ユーリ殿たちも一緒に」
「えっ、でもおれたち、正装とか持ってないですし!」
 いきなり話を振られて慌てるユーリを他所に、は首を振る。
「折角だが、家にいる時ぐらいはのんびりしたいんだ。グレミオはシチューを作ってくれるだろうしね」
「うあー! グレミオさんのシチューかあ。いいなあ、俺も……」
「大統領ッ! 案件が溜まっております!!」
 脇から叱咤の声が飛んできて、シーナは嫌そうな顔をする。
「わーった、わーったよ! ったく。早く退位したいぜ……」
 文句を言う大統領に、は失笑した。



2009・12・18