「……本当にこの人数でいくのかい?」
 ウンザリした様子で呟くルックに、が失笑を零す。
 気持ちは解る、と。



互国響動 39 ―紋章の世界―


 湯治から戻ってすぐ、は上様に言われた通り、一度自分の世界へ帰ることにした。
 どうもユーリにも『上様』時の記憶が、ぼんやりとだがあるらしい。
 彼は、帰ったばかりだというのに旅支度をさっさと始め、の準備が終わるより先に出立できる状態になっていた。
 『おれの都合で振り回してるから、せめて待たせないようにしようと思って』が彼の言だが、別には、彼の責任ではないと思っている。
 とにかく、事情を知ったその他の面子も、それぞれに準備を始めて。
 予定の日になり、ルックの前に集まった人数は、延べ5人。
 送り手であるルックを含めれば6人という、ちょっと多い人数であった。
「魔王は解る。首謀者だからね。も解るけど」
 なんであんた達まで?
 言葉にせずとも、雰囲気と視線で判別がつくルックの態度に、『あんた達』のうちの1人、コンラッドは肩をすくめた。
「護衛だよ。完全な異地だしね」
「……じゃあ、そっちの眉間ジワ男は」
 残る1人、グウェンダルはルックの悪態に表情を崩すことなく、
「視察だ」
 答えた。
 グウェンダルは単純な好奇心が、原動力なのかも知れない。
 ユーリが行くとなれば、意地でも付いていくと思われたヴォルフラムは、この場にいなかった。
 の国は、当然だが人間ばかりだ。
 そのため、ヴォルフラムは妙な意地を張っているのか、それとも本当に嫌悪なのか知らないが、行く気はないらしかった。
 不機嫌なルックに、は両手を合わせてお願いする。
「ごめん。でもお願い。ここでゴタゴタしてたくないんだよ……」
「……判ったよ」
 深々と、それはもう塊でも転がるんじゃないかと思うほど重い溜息を零し、ルックは転移布を敷いた。
 が描いたそれに、ルックは魔力を乗せなくてはならない。
 人数が人数だけに、使用する力もそれ相応に必要だ。
 口の中で詠唱し、数度、布に力を載せて馴染ませる。
 次第に図形のあちこちが光り出す。
「最初はが行った方がいい。いきなり異界人が行ったら驚かれるだろうしね」
「そうだな。それじゃ、お先に」
 は軽く手を振って、布の上に乗る。
 一層光が強くなり、彼の姿が空気に溶けた。
 ユーリがぶるぶると首を振る。
「うわ、なんつーか……ちょっとホラーだよなあ」
「出先に問題はないのか?」
 グウェンダルが問うと、ルックは鼻を鳴らした。
の国なんだし、問題なんてないだろ。次、あんた行きなよ」
 示されたコンラッドが頷き、と同じように布に乗る。
 彼が移動して後、グウェンダル、ユーリ、と次々に移動する。
 最後に、ルック。
 彼は転移布の周りに、害虫避けというか、危害を加えられないように結界を張り、それからの国へと向かった。



 暗闇の中、大きな光がどこかへ流れていくのを見て、テッドは目を瞬く。
 その中の2つの光からは、ひどく懐かしく、暖かいものが感じ取れた。
 手を触れることは出来ない速度だったし、この空間をほとんど一瞬で過ぎって消えてしまったが。
「……今のって、もしかしてか……?」
 小生意気な紋章師のあいつの気配も、あった気がする。
 眞王がの黒の空間に置いて行った、『眞魔国の映像が見られる何か』には、たちの姿がない。
 いつも彼女達を映す訳ではないのだが。
 こちらで設定できればいいのに、できない。
 思い出したように何かを映すだけだ。
「ったく……。せめて声ぐらい伝わるようにして欲しいんだけどなあ」
「仕方がなかろう。お前は『死んで』いるのだからな」
 毎度のごとく唐突に出てきた眞王に、テッドは少々顔を引き攣らせた。
「おま……もう少し普通に出て来れないのかよ」
 まあ、見た限り扉なんてどこにもないわけで、仕方がないとも思うが。
「今光ってったのって、達だろ」
「そうだ」
を魔王の后にするの、やめたのか?」
 眞王は顎下に手をやって首を振った。
 違うのか。
「まあ……それは、俺の知るところではないな。当人らの問題、というやつだ」
「呼んだのお前だろ」
「呼びはしたが、その後まで責任なんぞ取らん」
「無責任発言をどーも」
 鼻を鳴らし、眞王は言葉を続ける。
「俺の世界ではの魔力消費が早く、回復しきれていないようだ。少し行き来させて、耐性をつけさせる――といったところか」
「耐性なんてつくのか?」
には強い『繋がり』の力がある。異地であろうとも、世界と繋がり身を安定させられる力だ。だからこそ、彼女の力を手繰って、次々とお前の世界の者たちがやって来れたのだろう」
 眞王はにやりと笑う。
「お前の話を聞いて彼女を呼んだのは大正解だったな。退屈せずに済む」
 ――俺のせいかよ。しかも退屈しのぎなのかよ。
 そういえば、あの魔王ユーリが『の存在は、テッドに教えてもらった』とかなんとか言っていた。
 教えた覚えはないが、魔術的な何かで知ったとしても驚かない。
 何しろ、存在が『魔王』だ。なんでもありだろう。
 後頭部を掻くテッド。いつかもしに会えたなら、謝ろうと思った。
「なあ。じゃあなんで今は駄目なんだよ。繋がれるってんなら、別に帰る必要ないんじゃ」
「魔力の質が違いすぎる。への負担が大きいのだろうよ」
「ふーん」
 よく解らないが、頷いておいた。
「とにかく今、たちは元の世界へ帰ってるんだな?」
「そうだ。だから暫くは映像が見られない。俺の力が大きく及ぶ場ではないからな」
 言い、眞王は首を振る。
 どうしたと頭を傾げるテッドに、眞王は
「……本当にあの『紋章』とやらは興味深いな」
 ある種、物凄い不吉な言葉を告げた。
「おま……紋章を奪おうとしてを利用しようとしてんじゃないだろうな」
「さて、どうかな」
 もしもを、紋章のために引き寄せたのだとしたら。
 が聞いていたら怒髪天ものだろう。
 もちろん、テッドだって気分が悪い。
「……お前、を妙な策略に使おうってんじゃ」
 テッドは眞王の胸倉を掴むと、
「どんな関わりでもな、あいつを泣かせるようなことはお断りだ!」
 叫ぶ。
 彼はしげしげとテッドを見つめ――ふいに口端を上げた。
「お前、惚れているのか」
「っ……関係ないだろ」
 答える気がないと横を向くテッド。
 眞王は、笑っている気配を残したまま、掻き消えた。
「……ったく。来るのも帰るのも、唐突過ぎるってんだよ」



 移動した先は、デュナン国、国主の執務室だった。
 主であるは目を瞬き、自分の部屋に唐突に現れた人々を見つめている。
 その場にいるのは、あちこちを見回しているコンラッドとグウェンダル、少しばかり所在無さげにしているユーリと、見知っているため堂々とした
 それから、デュナン国の鬼参謀シュウだ。
 彼は現れたと、その次に現れたルックを見てから、腕を組んだままため息をつく。
 に問い
「……これで全部ですか?」
「そうだよ」
 彼が答える。
 眉間を指先で揉み解し、シュウはとりあえず事情を求めた。
 話に加わろうとするには、
殿はこちらの書類に目を通して頂く」
 重量のありそうな紙束を渡していた。
 ユーリが、自分のことのように嫌がる顔を見せるのが、なんだかちょっと面白い。
「簡潔に説明して頂きたいのだが」
「ああ、いいよ。オレから説明する」
 が言う。
 人数が人数だけに、執務室から移動しようとしたのだが、の反対にあってその場で立ち話になってしまった。
 ヴォルフラムがいたら、賓客を立たせたままで会話とはどういう了見だ、などと言われそうだが、幸いにして彼はここにいない。
 の、物凄くあちこちを端折った説明に、それでもシュウは事情を飲み込んだ。
 さすが頭の回転が速い。
 元々、魔術師の塔からの連絡で、おおよそのことは把握していたようであったが。
 は、例の塔の主――真の紋章の管理者的存在、レックナートのことを考える。
 ――彼女はいったい、何をどこまで知っているのだろう。
 一行が出てきたのは、レックナートからの手紙に添えられていた敷布からだ。
 が描いたのと非常に似通った――勿論、記述はこちらの理論のみが使われている――それは、今はシュウの手で巻かれて、書棚に立てかけられている。
 こほんとひとつ咳払いをし、シュウは自分に注意を向けさせた。
「とりあえず、彼らは暫くここに滞在する恰好だと、そういうことで宜しいか」
「ああ。悪いが頼む」
 答えたのは
 そういえば、ユーリたちは言葉が解るのだろうか?
「ユーリ、みんなも……こっちの言葉、解るの?」
「あ……そういえば、解るな。なんでだろう」
「コンラッドも解るの?」
 ユーリは魔王だし、なんとなく理解できるのだが、コンラッドたちはどうだろう。
 答えを求めると、彼は微笑む。
「ああ、解ってるよ。不思議だけれどね」
 本当に不思議だ。理由は当然、解らない。
 は書面から目と手を離さないまま、シュウに言う。
「みんなに部屋を用意してあげてよ。何日滞在するか判らないしさ」
「……仕方ありませんね。殿とは、以前使っていた部屋をどうぞ。他の方はわたしに付いて来て下さい」
「すまない」
 グウェンダルが低い声で礼を言う。
 かまわないと軽く手を振り、シュウはをじろりと見た。
殿は、書面確認が終わるまで部屋を出ぬようお願いしますよ」
「言われなくても解ってるよ……」
 激しく文句のありそうな顔だった。



2009・7・7