「ここに入ってろ」
 突き飛ばされ、薄暗い部屋に放られる。
 入れられた部屋の天井に向けて、ため息を吐いた。



互国響動 35



 屋台でスパゲティーを食べ終えてから、グレタが何かの建物……というかテントに不法侵入し、そこでユーリ曰く偽札を見つけてしまった。
 不正規な紙幣を見つけた私たちを、それらを使っているであろう人らが見つけた。
 私が反応するより先に、グレタが彼らにつかまってしまい、今こうして牢屋代わりの剥製置き場にいるわけで。
 幸いにして、武器は取られていない。
 莫迦者かと思ったが、扉は堅固で、ぶったたいても壊れなかった。
「……ごめん」
 隣に立つユーリに謝ると、彼は目を丸くした。
「なんで謝るんだよ」
「逃がしてあげられなかったから」
 温泉街だからと気を抜きすぎていたんだろうか。
 普段なら、他人の気配に気付かないなんてこと、ないのに。
 優しい魔王は、私の言葉に大きく首を振る。
「おれこそ、男なのに守ってあげられないし……だから謝るなよ。ちょっと情けない気分になるだろ?」
「お互いにね」
 失笑しあっていると、ふいに、部屋の奥から声が届いた。
 誰? と。
 部屋の中は薄暗いが、足元がおぼつかない程ではない。
 剥製立ち並ぶ中を移動すると、壁の際に人が在った。
 2人のどちらにも、見覚えがある。
「イズラ?」
 ユーリが驚く。
 確かにイズラだ。もう1人、具合が悪そうに横になっているのは、昼間彼女と一緒にいた女の子。
 グレタがイズラに駆け寄って、頬に手を当てた。
 はっきり、誰かに殴られた痕。
 思わず顔をしかめた。
「おにーさんたち、どうしてここに?」
「ユーリだよ!」
 唐突に、グレタが大きな声で自己紹介を始めた。
 何が彼女をそうさせたのか判らないが、もしかしたら、イズラを元気付けようとしたのかも。
「ユーリととグレタだよ」
 ずっとつっけんどんな態度を取っていたグレタからの、思いも寄らぬ言葉に、ユーリは感動したのか、数拍遅れて頷いた。
 騒ぎでか、寝ていた少女がうめく。
 イズラはため息混じりに彼女の額に手をやり、軽く頭を落とした。
「ニナの風邪が悪くなって」
「あなたも顔を殴られてる」
 私の言葉に、あたしは平気だと微笑む彼女が痛々しい。
 お客を取りそびれたことで、雇い主の苛立ちを買い、殴られたのだそうだ。
 人を物のように扱う雇用者に、眉間に皺が寄るのを止められない。
 剥製なんぞ作る金があるのなら、その金でもっとこの子たちに配慮してやれと声を大にして言いたいが、言っても無駄だろう。
 雇用者は、性格が悪いに決まってる。
「何か、薬を持っていない?」
 イズラがニナを見ながら言う。
 ユーリはほとんど身ひとつだし、グレタも同様。
「私が持ってるのは、残念ながら傷薬なの。ニナに使って上げられるものはないんだ。ごめんね」
「そう……」
「とりあえず、その頬の腫れを引かせることはできるから、使うよ?」
 服の中から、小さな容れ物を取り出す。
 イズラはニナの手前、少々悩んだようだが、ユーリやグレタの押しもあって、最終的には治療に賛同してくれた。
 容器を開き、中にある液体に近い薬を指にとる。
 彼女の頬に少々塗りこんでやった。
「……なんだか良くなったみたい」
「気の持ちよう、ってやつだよ。いい薬だけど、そんなに即効性はないから。それに……そっちの子は」
 ニナは、この薬ではどうにも治らない。
 私は、治せる力を持っている。左手の、流水の紋章を使えばいい。
 けれど――。
 ぎゅっと唇を噛み、私は着ていた上着を脱いで、ニナにかぶせる。
 ユーリのダウンジャケットと私の上着があれば、冷えているこの場所でも、だいぶ暖が取れるはずだ。
「ねえユーリ、ユーリなら治せるよね?」
「はへ?」
 グレタに服の袖を引かれながら、ユーリは間の抜けた声を出した。
「治せるよね。だって、グレタの熱も治してくれたよ。手を握るだけで治ったもん」
「そうなの?」
「ちょっ、ま、待てよ! おれそんな真似できねえよ!?」
 あれは熱さましのおかげだと言うユーリに、グレタもニナも、イズラも、期待に満ちた目を向けている。
 確かに、ユーリには魔力がある。
 ユーリではない、『魔王』になった時の彼には、物凄い魔力があるのだし。
 癒しの力を使えないはずがない、と思う。
「ユーリ、やってみなよ」
までそんな……。ああくそ、わかった、わかったよ!」
 半ば自棄のようにも見えるが、とにかくやる気になってくれた。
 二ナの手首を握って、あれこれと言い始める。
 治療するには、話し掛けて気力を上げるのだそうだ。
 どこの世界も、魔力での治療には当人の気力が必要らしい。
 ニナは、熱が下がったら働いてお金を稼ぎたいと言った。
 ユーリとの会話で見えてきたのは、彼女たちは、スヴェレラから――半ば親に売られてきたということ。
 理由は、祖国には働く場所もなければ、食べるものもないからだった。
 作物が育つ土壌と、水の恵みはあるけれど、育てるべき種がない。
 牛も、山羊も太らせることができない。それは、そもそもそれらが居ないから。
 その状況で、ヒルドヤードに仕事がある、娘を渡せば前金をやると言われれば、全員ではなくとも、多くがそれに乗る気がする。
 倫理や正義、時には愛情。
 それらを掲げて、彼女たちをこの地に送り出した親を、非情だと罵る人もいるかも知れない。
 けれどそれは、法が正しく働く土地でのことだ。
 食うに困ることのない、潤った場所での常識だ。
 彼女たちは、そうではない所にいた。
「……こっちの世界にも、色々あるんだね」
 思わず呟くと、グレタが私の手をぎゅっと握った。
 握りながら、イズラに問う。
「イズラは、手紙を届ける人になりたかったんだよね。ニナは何になりたかったの?」
「あたしはね、先生になりたかった」
「教師かあ。でも教師って、苦労多いんじゃねえ?」
 治療を続けながら、ユーリも会話に参加する。
 彼の顔色が、ほんの少し悪い。
 私は唇を引き結び、彼の後ろに回って、背中を支えた。
?」
「気にしないで」
 気取られないといい。思いながら、左腕の甲を右手で覆い隠して、意識を集中する。
 紋章を使うとき、どうしても宿したそれは光を放ってしまう。
 それを極力抑えるために、手で隠しているんだけど……大丈夫かな?
 口の中で力を呼ぶ言葉を発す。
 ぼんやりと左手が光り、ユーリの顔色をどんどん回復させていく。
 ユーリがちらりとこちらを見た。
 微笑むと、彼はごめんと、音を出さずに言った。
 彼は彼なりに、こちらの事情を汲んでくれている。
「グレタは何になりたいの?」
 イズラの問いに、少女は
「子供になりたかったの」
「子供じゃん」
 全員で突っ込みを入れる。だってグレタは子供だし。
 だが彼女は首を振り、今までの年齢に似合わない低い声ではない、子供らしい声で続ける。
「ちゃんと、誰かの子供になりたかったの」
 父親と母親がいる子供になりたかったと、そう言う。
 彼女はスヴェレラの城に住んでいて、けれどそこの子供ではなかった。
 最後の日に、彼女の母は、明日からスヴェレラの子になれと言った。
 グレタを養う『新しい』親は、彼女を子供として育ててはくれないかも知れないから、この先、誰も信じてはいけないと言い聞かせたと言う。
 ――最後の日。
 記憶を探る。
 私の親は、最後の日に、何を言ったっけ。
 誰も信じるなとは言わなかった気がする。
 浮かんできた映像に、知らず、顔をしかめた。
 ――そうだ。両親の最後は唐突で、長く言葉を発するなんてできなかった。
 私が聞いたのは、ただひとこと。

 ――生きて。

 血溜りの中で、ただそれだけを呟いた。
 思考に沈んでいた私を、グレタの言葉が引き戻す。
「……スヴェレラの陛下と妃殿下は、グレタを娘にしてくれなかった。でも、グレタはスヴェレラの子供になりたかったの」
 だから、彼らの喜ぶようなことをすれば、褒めてくれて、喜んでくれて、きちんと子供にしてくれるのではないかと、そう思ったグレタは、ユーリを狙った。
「ごめんねユーリ。いい人だなんて、思わなかったの。いい人だったら、ユーリを……魔族の王様を殺して、スヴェレラの子供になろうなんて、思わなかった」
 事前にユーリの人となりを知っていたなら、地下牢に囚われていた魔族と取引をして、一緒に城を抜け出すことも、眞魔国に連れて行ってもらうこともしなかったと、涙の浮いた瞳で、グレタは言った。
 ユーリは泣きそうな顔をしながら、
「グレタ、お前はもううちの子だろ。おれの隠し子なんだから! 誰かの子供じゃなくて、うちの子だ!」
 少女の身体を引き寄せ、抱きしめる。
「ほんと?」
「ああ!」
「……の言ったとおりだ」
「へ?」
が言ったの。ユーリは、グレタの『お父さん』だって。にとってのだって」
 大意は理解したのだろう。
 ユーリはグレタの頭を撫でながら、頷いた。
 柔らかな空気が流れる中、それを引き裂いたのはニナの、割れんばかりの大声だった。
 声音は恐怖に彩られている。
 ユーリから離れようと、声以上の恐怖を顔に浮かせて、それ以上下がれないのに壁に向かってあとずさっている。
「魔族なの!? こいつっ、魔族なの!!?」
「落ち着いてよニナ!」
 私は唖然とする。魔族と人間の間には、深い溝があるとは思っていた。
 けれど、助けてもらってこの脅え様。
 怒りを通り越して、半ば呆れる。
 ヒステリックに叫ぶニナに、グレタが両足を踏ん張り、憤慨した表情で声を荒げる。
「なんでっ、助けてもらったんだよ!? それなのに、なんでそんなこと言うの!!」
「いいんだよグレタ。慣れてるから」
 落ち着くようにと、手を上下させるユーリ。
 私は思い切り息を吐き出した。
「……この騒ぎで、見張りが扉を開けるかも。そうしたら逃げよう」
「そうだな」
 言った直後、
「お前らぎゃーぎゃーうるせぇんだ……っ!」
 扉が開いて、屈強な男が顔を出した。
 存外早かったため、私は慌てて腰の棍を――二つ折りの状態のまま――手にとって、男の顎下から打ち上げる。
 ユーリは、自分が殴られたみたいに痛そうな顔をした。
 男は簡単に白目を剥いて、倒れる。
「先に行って、ユーリ、グレタ」
は」
「直ぐに追いつく」
 言い含め、先に行くよう促した。
 彼らは少しばかり戸惑っていたが、すぐに駆け出す。
 私はそれを確認してから、少女2人を見た。
「あなた達はどうする?」
「誰が、魔族の世話なんかに!」
 ニナは元々良くない顔色を、更に青くして叫ぶ。
 もしかして、魔族は人を食うとか思っているんだろうか。
「残念だけど、私は魔族じゃないんだよ。……来るなら、援護するけど」
「……あたしはここに残るわ。ニナを放っておけないもの」
 予想していた答えだ。
 だから、それ以上何も聞かなかった。
「きっと、なんとかするから。ユーリは、あなた達を見捨てたりしない」
 言い、部屋を出た。



 思ったよりしつこい追跡者を退けながら、なんとか店の入り口付近にまで出た。
 ユーリとグレタの姿がなくて、少しばかり不安になる。
 逃げ切ったのか、それとも捕まったのか。
 とにかく、コンラッドの助力が居る。
 娼館の少女たちを助けるにしても、囚われていた場合のユーリたちを助けるにしても、だ。
「待て、小娘!」
 他の客に遠慮していることを差し引いても、けして穏やかとはいえない表情の男が、私の手首を掴みにかかる。
 舌打ちして、棍を振り上げようとした矢先。
 極近くにいた少女が引きずられ、私の目の前に――男の盾みたいに――出される。
 少女の出現で、手が一瞬止まった。
 それを見逃さず、屈強な男は私の手首を掴んで捻り上げる。
 明らかな失態。
 腕を捕まれた痛みではなく、自分のしくじりで顔を歪める。
「面倒かけやがって、このガキ。さっさとこっちへ――」
!」
 ヴォルフラムの声。
 宿で寝ているはずの彼の声に、私は目を瞬く。
 無理に後ろを向こうとしていたら、突然、手が自由になった。
 男の手を、誰かが掴んでいる。
 その人を見上げ、柄にもなくホッと息を吐いた。
「コンラッド……」
「無事か?」
「ああ、うん。大丈夫」
 手首を回しながら言うと、コンラッドは薄く微笑んだ。
「よかった」
、ユーリとグレタはどこだ?」
 後ろからヴォルフラムが、微妙にご機嫌斜めな顔で尋ねてくる。
 私は顎下に手をやった。
「……表で、見てない?」
「ああ」
 無事に逃げ出せたなら、ユーリは間違いなくコンラッドに助けを求めに行くだろう。
 すれ違いという可能性もあるが――。
「もしかしたら、まだここに居るのかも」
 私の言葉に、コンラッドは正面の男を掴む手に力を込める。
 男は情けない悲鳴を上げて、コンラッドを見上げた。
「少女と少年の2人連れだ。どこに居る?」
「ひ……ビ、ビロン様のお部屋だ」
 案外あっさり白状。根性足りんぞ。
 コンラッドは手を離さないまま、男に笑顔を向ける。
 全く優しくない雰囲気で、まさに形だけの笑顔だ。
「案内してもらおう」


2009・4・14