お風呂なのに水着。 なんだかとてつもない違和感を感じながら、はグレタに水着を渡す。 はで、貸してもらった――グレタのそれよりずっと露出の多い――水着を手に取った。 互国響動 33 「……コンラッド、これはなんの冗談なんだ」 「やっぱりもそう思うよなあ!」 しきりに頷いているユーリ。 はグレタの手を引きながら、敷石に足をつけた。 がに気付き、息を付く。 「の方は普通か」 「へ? 水着のこと? だってフツーの……ヴォルフラムとユーリは普通じゃない……!」 思わず吹き出しそうになって、慌てて息を飲み込む。 ユーリは、苦虫を噛み潰したみたいな顔になっている。 ヴォルフラムの方はそれが普通なのか、堂々としたものだ。 コンラッドとは、普通の水着(ちょっとキワドイ?)だが、ユーリとヴォルフラムは……。 「これは決しておれの趣味じゃないからな! こんな超ビキニTバックで黄土色の物体なんか!」 「しかも後部に礼服のような尾が付いているしな……ギャグだろう」 が苦笑する。 自分で穿く気は全くないらしい。 郷に入っては郷に従え、と自分を納得させるべく、必死でブツブツ呟いているユーリ。 アヒルを抱えていたグレタが、を見上げる。 「……どした?」 「お風呂、大きい」 「うん。私の想像より種類も多いよ……全部入ってたら茹だるかな」 「……ところで、、その」 復活したユーリが、の立ち姿をじーっと見続ける。 「水着……」 「あー……そんな絶句するほどヤバイかな」 「いいいい、イヤッ、違うって! なんていうか……イイっつーか!」 風呂の蒸気のせいではなく、顔を赤くする彼。 先に行ったはずのヴォルフラムが、ヅカヅカと戻ってきて、 「ユーリ、この尻軽!! 女性をジロジロ見るのは、マナー違反だ!」 背中をばちりと叩いた。 「うぁちっ! わ、分かってるよ! ゴメン、」 「いいよ、気にしないで」 「行くぞユーリ!」 ヴォルフラムはユーリの手を引いて、やたらと数のある湯船のうちのひとつに向かった。 は軽く息をつき、適当な湯船に向かっていく。 コンラッドも同じように。 残されたは、グレタに尋ねる。 「どこ行きたい?」 「………あっち」 一番広い湯船を示す。 は頷き、彼女の手を掴んだまま歩き出した。 浸かりながら、グレタはアヒルを沈めたり浮かせたりして、遊んでいた。 そのすぐ近くで、は縁に背を預け、長い息を吐く。 適度な温度の湯が、こちらに来てから身体の底に溜まっていた緊張や疲労を、緩々と溶かしていく気がした。 こうして遊んでいる時でも、グレタは決して表情が柔らかくない。 他の子供のように、柔らかく笑んでくれたら、きっと凄く可愛いと思うのに。 ふと、こちらに向かってきたが見えて、体を動かすと、 「……!」 「ん? どうしたのグレタ?」 グレタが息を飲んで、は動きを止めた。 彼女はに近づいてきて、ぎゅ、と眉をひそめる。 「……いたいの?」 「痛い……? ああ、なるほど」 それまで気付かれていなかったらしい。 は苦笑し、自分の背中にあるものを思い出した。 「驚かせちゃったか。ごめんね。古傷だから大丈夫。グレタの具合の方が、私は気になるトコなんだけど……」 つい先日まで熱を出していた子だ。 風呂でゆだり過ぎて、また熱でも出したら大変。 グレタの頭を撫でてやると、彼女は俯いた。 「、おかあさまみたい」 「……うん、そっか、ありがとう。ねえグレタ、とも仲良くしてあげてね?」 ちょっと近寄り難い雰囲気があるかも知れないけど、優しいんだよと言ってみる。 グレタは口をつぐみ、傍まで来たを見上げた。 「うん? どうしたグレタ」 は微笑み、少女の頭を撫でる。 グレタはそれでも無言のままだったが、徐にの指を掴む。 首を傾げる彼。は苦笑する。 「別のお風呂に行きたいんだ?」 問えば、グレタはこくりと頷く。うん、かわいい。 状況がつかめないようだが、それでもは笑み、グレタを連れ、行きたい風呂はどこだと聞きながら、から離れた。 ひとり残されたは、大きく息を吐く。 ひとしきり瞳を閉じる。 離れたところから、ユーリとヴォルフラムが言い合い(?)をしているのが聞こえた。 公共の風呂場で暴れたらいけませんよー。 「横、いいですか?」 妙に丁寧な口調で問われ、どうぞと答える。 瞳を開ければ、思ったとおりの人がそこ居た。 「コンラッド、ユーリとヴォルフラムはまた何を騒いでるの?」 「ユーリが他の女性に目を向けた、と」 つまり、イチャモンか。 立場的には、一応自分もユーリの婚約者だし、ヴォルフラムばりに『この浮気者!』とか怒った方がいいのだろうか、なんて考える。 「大変だねえ、嫉妬深い婚約者を持つと」 指を湯の中で揉み解し、うーんと伸びをした。 の背中を見て、コンラッドの瞳が、きつく細められる。 彼女はその様子に気づき、軽く首をひねった。 「……。無礼を働くようだが、この傷は?」 「ああ。コレ?」 彼が、何に対して険しい顔をしたのか判った。 コンラッドの方に視線を向け、は苦笑する。 「私より、あなたの方がもっと凄い怪我ばかりな気がするけど」 「俺はいいんだよ。男だから」 そういう問題でもないと思うけど。 見せてもらって良いかと問われ、頷き、彼に背を向ける。 見やすいように。 彼の目は今、自分の背の下部に焦点を合わせているだろう。 どこを見ているのかが、なんとなく分かる。 「これは……随分と深いものだったようだね」 「まあ、そうみたい。あんまり自覚がないんだけど」 「なぜ?」 どうして傷が付いたのか、その理由を求められた。 この傷が付いた当初なら、きっとそんな風に理由を求められただけで、顔が歪んでいただろう。 今は、そんなことはない。過去のことだからと、割り切れる。 「最初の戦争……ええと、が軍主をやってた頃の戦争でね」 「敵に?」 「違う。に」 言うと、思いがけない言葉を聞いたみたいに、彼は目を軽く見開いた。 何故? と疑問が顔に浮かんでいる。 それはそうだろう。はを大事にしているのだから。 「当時はね、まだ私もも、真の紋章の制御が上手くなかったの」 そして、暴走というものの恐ろしさも知らなかった。 それが起こったのは、がまだ紋章師たちの部隊長ではない頃。 と離れ、前線で戦う者たちを補助していたは、混戦に巻き込まれた。 それに気付いたは勿論、彼女を助けるために必死になった。 「それが、何故?」 「から私への距離は、物凄く、って程でもないけど、離れてた。普通に駆けて来ても、絶対に間に合わない距離」 「だから紋章を使ったのか」 コンラッドは、の傷から目を離さないまま呟く。 彼の目には、腰からわき腹辺りに斜めに走る、火傷痕のような、切り傷のような、不思議なものが見えているはずだ。 かつてを治療した医師は、炎を纏った鞭が、躯を撫でていったと評した。 鞭痕にしては、きれい過ぎるけれど。 「彼が必死で使った真の紋章は、それまでの疲労や心労もあってか、制御が上手く利かなかった。私を背後から襲おうとしていた敵兵を倒そうとして――」 は軽く息を止め、吐き出す。言葉にする準備のように。 「敵兵を、紋章の力は貫いたの。貫いて、私の背中に及んだ」 の真の紋章の力は、ひと1人を簡単に貫き通した。 高濃度の魔力は敵兵の魂を引きちぎり、その前にいたに襲い掛かった。 制御が利かなくなっている生と死の紋章から、が命を取られなかった理由は、彼女が『紫魂の紋章』を――かの物が寵愛するそれを宿していたからだ。 の背を切り裂き、焼きながら、それでも魂だけは取り去らなかった。 「は、私を傷つけたことで、何がなんだか判らなくなっちゃったみたいで。それで、彼の精神に呼応するみたいに、紋章が暴走を始めちゃって」 「暴走とは、穏やかじゃないな」 「実際、穏やかじゃなかったよ」 あちこちの大地を削りながら、力は解放され続け、それに呑まれた者は軒並み魂を貪り喰われた。 それでも戦場以外に被害がなかったのは、の必死の抵抗が功を成したからだ。 の存在が、それだけで彼の紋章を宥めていたし、ルックも力を貸したから、真の紋章の暴走にしては、被害はそう大きくなかった。 けれど。 「……まあ、私の方はの力に背中をやられて、その当時は物凄かったよ。痛くて」 「を怖がった?」 「まさか! が怖いはずないよ。……なんていうか、こっちが申し訳なくなるぐらい、謝ったり泣いたりしてたし」 それまで、そんな大きな傷が付くような怪我をしたことがなかった。 流血もしたし――魔力焼けである程度止血されていた状態だったのは、幸運だったかも知れないが、痛みは凄かった。 何日間か生死の境を彷徨い、なんとか生還してからも、苦しむの傍らから、は片時も離れなかった。 どうしても必要な場合以外、彼女の傍で過ごした。 「あの時からかなあ。人を傷つけないために、『力』から目をそらさなくなったの」 それまで抱いていた、真の紋章への恐れを片隅に追いやって。 自分が持つ兇悪な紋章と、できる限り同居する努力を始めた。 「だから今は、ちゃんと制御できる」 「……そう、か」 すっきりといい終わったとは逆に、コンラッドは複雑そうな表情だ。 「この傷は、消えないのか? 紋章の力で」 「真の紋章持ちとか私みたいな特殊紋章持ちは、普通の怪我なんかは、結構凄いのでも時間さえ経てば治るんだけど。これは駄目みたい」 戦いの場に出れば、それなりに手傷を負う。 酷いものもあったが、そちらはすっかり綺麗になった。 まるで刻印のように、生と死の紋章から受けた傷だけが、そこにあり続ける。 どんな力でも治せないのだと、漠然とだが理解していた。 「勿体無いな、綺麗な肌なのに」 コンラッドは傷に、ひたり、と指先を当てる。 びくん、と、の身体が、敏感に反応した。 怪我を負ったその場所は、他のところよりも、少しばかり刺激に弱い。 そのまま、つぅ、と傷をなぞられ、は思わず 「うわっ!」 女の子らしくない声を上げて、コンラッドから身を離した。 彼は軽く肩をすくめる。 「そんなに嫌がらなくても」 「いっ、嫌っていうか、ビックリしたんだけど!」 「誰かにこうやって触れられたことはない?」 「別に、ないわけじゃないよ。生娘じゃあるまいし……」 何気なく言った言葉に、コンラッドの笑顔が引き締まる。 なんだと思う間に、彼の顔が目の前に来た。 背中に、ひんやりした岩の感触があって、知らず、後退していたのを知る。 彼の片方の手が、肩に置かれている。 それが妙に熱かった。 「コンラッド?」 彼を見るが、瞳の煌きが強くて、なんだか直視できなかった。 「君は――」 「ウェラー卿! 何をしているッ!!」 コンラッドが全部を言い終えるより先に、ヴォルフラムの怒号が飛んで来た。 首だけ動かして脇を見ると、顔を真っ赤にし、憤慨しているヴォルフラムが立っていた。 彼はの腕を掴み、立ち上がらせた。 背後に隠すようにしながら、コンラッドを思い切り睨みつけている。 「まったく。油断も隙もないな、コンラート」 「ヴォルフ、そんなに目くじらを立てるな。何もしていないだろう?」 両手を上げるコンラッドに、ヴォルフラムは 「あのまま放っておけば、お前はに卑猥なことをするだろうが!!」 キッパリと言い放った。 ヒワイって……。 目を瞬く。コンラッドは失笑する。 「しないよ、まだね」 ………まだ? 2009・4・3 |