眞魔国と海を隔て、向かい合っているシルドクラウト。
 そこから僅かに内陸部に入った場所に、目的地のヒルドヤードがある。
 歓楽卿、と呼ばれる割に、なんだか微妙に和やかな感じがすると、は思う。



互国響動 32



 商店街を抜け、遊技場の区画を歩いていく。
 自分の世界ではないだけあって、は見るものの多くがとても面白く感じる。
 全く知らない遊びもあったが、が軍主の頃によくやっていた『ちんちろりん』みたいな遊びも見て取れた。
「これから何処へ?」
 先を行くコンラッドの後ろを歩きながら、ユーリに問いかける。
 彼は自分が持っている、補助用の杖をや人に当てないよう、注意しながら歩いている。
「とりあえず、風呂に入ろうってことで」
「そうだね。さっぱりしたいし……」
 ユーリは足の治療に、温泉に来ているのだから、思う存分浸かるといいと思う。
 風呂が人の身体と気持ちにいいことは、も身をもって実感している。
 闘いの最中では、特に良くお世話になったし。
 ユーリに怪我をさせてしまった本人のグレタは、近くにある見世物小屋の何かが怖かったのか、片手での服の裾を、もう片方の手でユーリの服の裾を掴んでいる。
 最初の頃より、ずっと懐いてくれている気がした。
 はというと、何食わぬ顔であちこちを見ながら、やユーリの後に続いている。
 ユーリを狙う誰かを気にして、周囲を警戒しているのかと思いきや、単純に楽しんでいるようだ。
 気を散じて歩いていたは、前を行くコンラッドが突然立ち止まったため、
「ぶ!!」
 彼の背中に思い切り衝突した。
「何をしてるんだよ、……」
 呆れたようなの声に、軽く唸りながら顔に手をやりつつ、コンラッドを見る。
 次いで、彼が突然停止した理由を知った。
 妙に色っぽい格好の女の子が、ユーリに声をかけ、彼が足を止めたからだった。
 は少女を見て、思わず眉をひそめる。
 少女は、スカートの丈が短く、胸を強調するドレスを身に纏っている。
 温泉地の効果でか、季節の割には暖かいこの地。
 それでも、彼女のような格好をするのは不釣合い――つまり寒い。
 露出の多さを見て、彼女が『そちらの』人間だと知れた。
 も、職業に難癖を付けるつもりは全くないが、見た感じの年齢が、よくて10代半ばでは、自ずと眉もひそまるというものだ。
「お兄さんたち、暇? 友達も一緒なんだけど――」
 言う途中で、彼女の言う友達がこちらにやって来た。
 元気があるとは言い難い足取り。
 先ほどまでは明るかったユーリの表情は、今はすっかり萎んでいる。
 彼女たちの目的が何か、分かったのだろう。
「ねえ、よかったらお兄さんたち皆で」
「悪いが、これから宿に向かうところだ」
 遊んでいく暇はないのだと、コンラッドははっきり、微妙な笑顔つきで言う。
 そうしながら、ユーリを背後に隠した。
 ユーリの服の裾を掴んでいたグレタも、同じように隠される格好になる。
 の方はの横で、軽く頬を掻いた。
 は溜息をつき、少女のひとり――元気のない足取りの子に向かって、声をかけた。
「お前、具合が悪そうだな。体調不良でその薄着では、身体を壊すぞ」
 言われた少女は答えず、代わりに元気な子の方が明るい声を出しながら、コンラッドの腕に自分の身体を押し付けた。
 彼の肘に胸を押し付けている様子を見て、は難しい顔になってしまう。
 胸のあたりがチリチリする。
 も、と同じものを感じているのだろう。
 ひどく似たような表情だ。
 これが、彼女達の仕事なのだろう。分かっている。
 でも……。
「あんたたち、無粋な真似はおよし!」
 飛んで来た声に、少女がコンラッドから身体を離す。
 声は、通りの反対側からやって来た。
 咥えタバコ、乱れ髪。婀娜っぽい女性だ。
「その人たちは家族で楽しみに来てるんだ。ここには、女以外の遊びも、いくらでもある。しつこくするんじゃないよ」
 一喝され、少女達は気まずそうな顔をして、彼女達の店に駆け込んだ。
 女性は軽く鼻を鳴らし、口から長く紫煙を吐き出す。
 自然な動きで、コンラッドの肩に手を載せた。
 これこそ商売人の動き、って感じ。
 コンラッドはそれを振り払うでもなく、女性に口をきく。
「五年前に来た時は、こんな雰囲気ではなかったんだが」
「ああ……」
 女性はまた紫煙を吹き、ややあって首を振る。
 彼女が言うには、3カ月ほど前に、先ほどのような少女たちがわんさと流れ込んできたのだそうだ。
 権利の持ち主が変わった、とかなんとか。
 ――権利。
 の胸中に、軽い怒りが浮く。
 はそれに気付いて、の手を軽く握った。
「……
「仕方がない。ここはオレたちの国ではないんだから」
 ここで文句を言っても仕方がないと暗に言われ、は地面に息を転がした。
「ところで……あんた、いい男ね」
 コンラッドに寄っていた女性の瞳が、突然水商売のそれになる。
 何故だかユーリが恥ずかしそうに身じろぎした。
「どう? お連れさんが寝ちゃってから」
 そういうのは、お連れさんが居ない所で言うべきじゃないのかと思う。
 思わずグレタを見ると、彼女はどこか全然別の場所を、緊張したような瞳で見ていた。
 首を傾げるに気付き、グレタはぎゅっと口唇を噛んで、敷石を見つめる。
 ――どうしたんだろう?
 そうしている間にも、女性はコンラッドを落としにかかっていた。
 しかし。
「悪いけど――」
 コンラッドは一瞬に視線を移してから、女性に向き直る。
「断るよ。裏切れない相手がいるんでね」
「そうかい? まあ気が変わったら、あそこのお店においで」
 引き際さっぱり。
 女性はコンラッドから身体を離し、ひらひらと手を動かして立ち去った。
 彼女が店の中に消えてしまってから、コンラッドはふいにの顔を覗き込んだ。
「なに?」
「俺の背中に、顔をぶつけただろう? 急に立ち止まってすまなかった」
「ああ、いいよ。あの場合はしょうがない」
 気にしないでと笑む。彼はそれで顔を遠ざけた。
 ……隣にいるが、ひどく笑顔なのは気のせいだろうか。ちょっとこわい。
 ぎくしゃくするの近くで、ユーリはヴォルフラムに怒られていた。
 ヴォルフラムは、独りで先に歩いて行き、後にいると思っていたユーリがいなかったせいで、恥をかかされたと怒鳴っていた。



 宿を取り、やっとで一息を付く。
 船での旅程は、勿論野宿よりはずっと快適だったが、やはり揺れないベッドがいい。
 ばふ、とベッドに倒れ込んだの横のベッドに、グレタがそろりと腰かける。
 窺うようにを見つめていた。
「……グレタも、ばふってやる? 気持ちいいよ」
 眞魔国の高給布団の方が、当然気持ちいいけど。
 少女は少し考え、首を振った。
 無言のままでを見つめ続けている。
「どうしたの?」
 問えば、首を振られる。
 特に何かがあるわけではないらしい。
 はうつ伏せから仰向けになり、ゆっくり起き上がった。
 宿の部屋割りは、一応暗殺者と一緒では問題があるであろうと、ユーリとヴォルフラムで一部屋。とグレタ、とコンラッドで一部屋ずつだ。
 は同室でいいと言ったのだが、当人たちとグレタ以外の強固な反対を受け、今の部屋割りになった。
 と同室なんて、旅をしていたら毎度のことだし、何がどうとも思わないのだけど。
 2度ほどノック音がして、
「どーぞー」
 コンラッドが入って来た。
「これから入浴に行くけど、どうする?」
「お風呂か。うん、……グレタ?」
 どうしよう? と目で問うと、彼女はベッドから降りて、の手を引いた。
 行く、の意思表示だ。


2009・3・28