互国響動 31



 ルックの部屋で、
「えーと、それじゃあ……用意すべきものは、これで全部だね?」
 は確認するように部屋主に問う。
 問われた側は、非常に面倒くさそうな顔で鼻を鳴らした。
 お前の持っている紙に書いてあるんだから、確認なんぞ必要があるのかとでも言いた気に。
 分かってるけど、確認だよと紙をひらひらさせると、顔をしかめられた。
 こういう態度も慣れっこなので、特になんとも思わない。
 の持っている紙には、が出かける前に書き留めていったものが記されている。
 ざっと目を通す。
 主には着替えの品が並んでいる。
 特に重要なものとしてだろう。
 の字で下着と書かれたその下に、二重で線が引っ張ってある。
 恐ろしいことに、こちらの一般的な貴族の下着は、黒い紐のついたそれである。
 たちは、もっと庶民的なものを貸してもらっていたので、さほど問題はないのだが。
「……って、こっちでどういう下着を着けてるんだろ」
「…………君ね、なんて下世話なことを口にしてるんだい」
 それはもう素晴らしく表情を歪めるルックに、は慌てて手を振る。
 別に、変な想像をしている訳ではないのだ。
 女の子の下着の想像は、充分すぎるほど失礼だが、妙な含みはない。
「ええと。後はトラン産のお茶。これはさんだな。それと……グレミオさんのシチュー!? 無理言うよ……」
 たちの故郷のお茶ならば、貿易で入ってきているはずだ。
 時期的に初摘みではないが。
 しかし、シチューはいかがな物だろう。
 トランのマクドール家から、デュナンに持ち帰る間に腐りそうだ。
 なにしろ、テレポート能力のある仲間はいないのだし。
 グレミオはの教育係兼、保護者で、シチューを作らせたら天下一品。
 そんじょそこらの料理人では、全く太刀打ちができない。
 も大好物なのだが……。
「レシピを持ってきても、こっちの食材じゃあ駄目な気がするし。グレミオさんが来れれば一番だけど」
「莫迦を言うな。来れるはずないだろ」
「魔力の関係で?」
 ルックは頷く。
「確実にそうだとは言い切れない。だが、世界の壁を越えるには、それなりに魔力が要る」
 お気楽に行き来ができるような状態では、たぶん、ない。
 眞魔国から自分たちの世界へ流れる力の方が大きくて、逆はなかなか難しいと、ルックは感じていた。
 ……というか。
「異世界に、あまり他人を巻き込まないでよね」
「解ってるよ。でもまあ……シュウ辺りには、言っておいた方がいいのかも」
 デュナンの参謀は計算高く、が隠しごとをしていても、すぐに見抜く。
 分かり切っているのだから、さっさと白状しておいたほうが良さそうだ。
「ところでルック。こちらとあちらの時間の流れは、均等なんだっけ」
によると、こちらの1日が、あちでは凡そ10分だそうだけど」
「なら、大丈夫かな……」
「ああ、ちなみにこの敷布の出先は、あんたの部屋のはずだから」
 は目を瞬いて、足元に敷かれた布を見る。
 これはが描いて、ルックが魔力を込めたものだ。
 どこでも好きに、出口に設定できるのかと問えば、違うという答え。
「レックナート様が、これと同じものをデュナンに届けてるはずだ」
「あー……そういえば」
 確かシュウが部屋を出て行く時、魔術師の塔から手紙が、とかなんとか言っていた気がする。
 ということは、自分が不在だというのも分かっているのでは?
 ざあ、っと背筋に悪寒が走る。
「は、早く戻らないと罵詈雑言と共に、膨大な量の書類が……!!」
 慌てて敷布の上に乗ろうと片足を上げ、
「また来るから!」
 言い放って、足を着ける。
 空気に溶けたみたいに、の姿は掻き消えた。
 ルックは紙布を拾い上げ、きちんと纏めて棚にしまいこむ。
 は、国外へ湯治に出た魔王と共に行った。
 自分が残ったのは、そんな面倒なことに付き合うのが嫌だったからだが、知人が誰もいないとなると、それはそれで、やはり暇な気がする。
 面倒だが、寝たきりのテッドの様子でも見て、午後は読書に勤しむか。
 そんなことを思っていると、突然扉の外から悲鳴に似たが聞こえてきた。
 ぎょっとして振り向くと、同時に、そう軽くはないはずの扉が、物凄い轟音を立てて開く。
 半ば倒れこむようにして室内に入ってきたのは、
「……グウェンダル。なにをしているんだ?」
 フォンヴォルテール卿その人であった。
 彼はいつもの――眉間に皺を寄せて、きちんとした――様子ではない。
 ちょっとどころではなく青ざめている。
 グウェンダルの代わりのように眉根を寄せて、ルックは彼に問おうとした。
 だが。
 問うより早く、目に入った赤い色に、更に眉が寄る。
 倒れこんだグウェンダルの後ろに、女性が――仁王立ちで――立っていた。
「おやおやこれは。あなたが異世界からの訪問者ですか」
「……あんた誰」
「わたくしは、フォンカーベルニコフ卿アニシナです。あなたはルックで宜しいですね」
 どこから名前が伝わったのか、彼女は自分の名を知っている。
 多少不愉快ではあるが、自分たちの特異さを考えれば、話も早く回るというもの。
 仕方がないと、ルックにしては珍しく、早々に割り切る。
 フォンカーベルニコフ。
 確かフォンが付く名は、十貴族とかいうので、立場が上の方だったはずだ。
「確かに僕はルックだ。……で、この大男は何をどうして、こんなに駄目になっているんだい?」
 隙あらば逃げ出そうとでもしているかのように、グウェンダルはじりじりと扉に近づいている。
 だがそれを知っているのか、アニシナが、ばっと両手を広げた。
 グウェンダルが身体をすくませる。
 普段はユーリに、魔王よりも魔王らしい男と言われるグウェンダルであるが、今の姿はとてもそんな風に見えない。
 アニシナは腰に手をやり、それはそれは大きな溜息をついた。
「この男は、わたくしの偉大なる発明品の『もにたあ』になることを厭い、愚かにも逃げ出そうとしたのです」
「もにたあ?」
 眉を寄せるルック。
 発明品と、もにたあ。
 よくは解らないが、実験材料にでもなったのだろう。
 勝手に納得するルックを他所に、アニシナはグウェンダルを高圧的な瞳で見た。
「少し魔力を寄こしなさいというだけなのに、何故、このように逃げ出すのか、全く理解ができません」
「私にとっては、お前の作るものの方が理解不能だ!」
 あまり力の入らない声で、グウェンダルが喚く。
「何を言うのです。わたくしはこの国の未来を想い、様々な実験をしているのですよ。ということでグウェンダル。もう一度、『もにたあ』なさい」
「断る!!」
 顔に青筋を立てて恐怖しているグウェンダル。
 彼をこんな風にさせる『もにたあ』とは、きっと、物凄いものなのだろう。
 腕組みをし、そろそろ出て行けと言おうとしたルックに、アニシナの目が向く。
 水色の鋭い瞳がルックを射抜いた。
「あなたは異世界では、相当な魔力の持ち主だと聞いています」
 誰から聞いたんだとか、そういうことは置いておく。
 それより先に感じたのは、背筋に走った薄ら寒い何かだ。
 本能とも、直感ともいう何かが、ルックに告げている。
 危険ですよと。
 無言のルック。アニシナは胸を張った。
「グウェンダルがこの体たらくでは仕方がありません。貴方、『もにたあ』になりませんか」
「……一応聞いておくけど、何をするんだい」
「わたくしの実験室にある、『魔道強力吸引機』に、魔力を滾々と注げばよいのです! 方法は簡単です! 吸引機備え付けの穴に手を突っ込み、電源を入れれば貴方の魔力で、部屋のゴミというゴミが綺麗に片付きます!」
 話だけ聞くと本当にそうだが、グウェンダルの疲弊具合を見れば、それだけではないことが分かる。
 グウェンダルはため息混じりに、
「ゴミよりも魔力の方が先に尽きる。それに」
「それに?」
「……ゴミではないものが、自分に向かって吹っ飛んでくる」
 例えば、中身がぎうぎうに詰まった本棚とか。
 ルックは形容し難い表情をし、溜息をつく。
「僕、用事があるから」
 そして、軽く手を振って――その場から消えた。
 『もにたあ』は危険だと判断。
 だから、さっさと逃げた。グウェンダルを生贄に。
 アニシナは突然消えたルックが、先ほどまで立っていた場所を見つめ、何を思ったのか何度も頷く。
「ア、アニシナ……?」
「グウェンダル。一瞬で別の場所へ移動する魔道具などはどうでしょう」
「……………」
「思いつきは早急に実行に移さねばなりません!」
 ばっと身を翻し、アニシナはヒールを打ち鳴らしながら立ち去った。
 思いつきだけにして欲しいと、心から願うグウェンダルであった。




2009・3・1