互国響動 29




 リハビリテーション。
 つまり湯治。
 別に、が怪我をした訳ではない。
 でもなければ、ルックでもない。
 怪我(というか捻挫のようだが)をしたのはユーリ。
 経緯についてはざっと聞きかじっただけだが、ユーリのご落胤とやらが、彼に危害を加えたのだそうだ。
 ご落胤。つまり、隠し子。
 唐突に現れた隠し子が、これまた唐突に、ユーリに剣を向けたのだという。
 その時に怪我をして、湯治の必要を必要としたのだった。
 本来ならばユーリとコンラッドの2人旅だったのだが、総勢では彼らを含めて6名。
 婚約者の浮気を心配して、強引について来たヴォルフラム。
 は、「せっかくだから、一緒に行かないか」というユーリの言葉に甘えて。
 は他の場所を見たいという理由で。
 そして最後の一人は、ユーリを狙った隠し子だ。
 牢屋に入れられていた少女を、ユーリが連れ出してきた。
 考えがあってのことだろうし、彼が決めたのなら、に文句はない。
 そして今まさにその『刺客の隠し子』は、の横のベッドでぐったりとしている。
 少女の頬色は赤く、けれど顔色は悪い。
 どうも、風に当たり過ぎたせいで、発熱しているようだった。

 部屋割りは相当無謀をしていて、ツインの部屋に男4人と少女が雑魚寝状態。
 ヴォルフラムは極度の船酔い体質らしく、四六時中、嘔吐感と必死の攻防を繰り広げていた。
 最初の夜こそ、ユーリと少女――グレタというらしい――に会話があればと、一緒の部屋にしていたが、環境が悪すぎる。
 そこで、一人部屋のの方へ、グレタを移した。
 彼女は回り全てを敵としているのだろう。
 いつでも布団をぎゅっと掴んで、警戒心を剥き出しにしていた。
 熱は昨日より良くなった――かなり劇的に。
 それでも薬は必要である。
 先ほどコンラッドが持ってきてくれた薬を取り、はふむ、と考える。
 そして、ベッドに横たわる少女に声をかけた。
「グレタちゃん」
 当然みたいに返事はない。
 分かっているから、落胆もない。
「薬飲もう? それから、何か少し食べた方がいいよ」
 果物しかないが。
 言うと、彼女はちらりとこちらを見た。
 額に薄く浮いている汗を見て、はタオルを手に取る。
「ちょっと触るよ。いい? 汗が邪魔を拭くだけ」
 自分に対して、警戒を解く必要などないのだと言って聞かせると、彼女は体を強張らせたまま、それでも頷いた。
 優しく汗を拭ってやる。
「……さてと。何か口に入れられる? 残念ながら、私はこちらの食べ物に疎いんだけど」
 果物の入った皿を差し出してやると、グレタは少々悩みながら、青色の瑞々しいそれを取った。
 はぐ、と口に入れて懸命に噛んでいる。
 少女はいくつか果物を食べ、もう要らないと首を振った。
「じゃあ次は薬ね」
 水と薬を差し出す。文句もなく飲んでくれた。
 すっかり水を飲み干すと、空になったコップをに差し出す。
 すぐさままた横になった。
 はそれらをテーブルの上に置き、グレタの脇に座った。
「……
「うん?」
 名を呼んでくれた。
 そのことを嬉しく思いながら、怖がらせないよう、慎重にグレタの表情を伺う。
 ぎゅっと引き締められた眉は相変わらずだ。
は、魔族……?」
「違うよ。ちょっと普通ではないけど、人間」
「どうして魔族と一緒にいるの? 人間なのに」
 じっと瞳を見つめてくるグレタ。
 瞳の中に、何かを探しているように。
 は微笑む。
 あなたの敵ではないと口で言っても、信用などされない。
 では、何ができるのかと問われれば、笑むことしかできないから。
 自覚できる、精一杯の柔らかい笑顔を向けた。
「ねえグレタ。人間だとか魔族だとか、そんなのはきっと、大切なことじゃないよ」
 黙りこくったまま、目を見続ける少女。
「大切なのは、その人が『どういう人か』でしょう?」
「……あのひとは。ユーリは、優しい?」
 恐る恐る聞くグレタ。
 は迷わず頷く。
「魔王さまだけど、凄く優しいよ。グレタちゃんだって、本当は分かってるんじゃない?」
「グレタ」
 突然自分の名前をきっぱり言うグレタに、は少々首を傾ける。
 少女はあいも変わらずの目を見つめたまま、もう一度言う。
「グレタ。……ちゃん、なんて、いらない」
「ああ……。分かったよ、グレタ」
 それで満足したらしいグレタは、から視線をはずした。
 瞳の中に、彼女の探すものはあったのだろうか。
 

 グレタが寝息を立て始めた頃、が入ってきた。
「具合はどうだ?」
「うん。まだ少し熱があるけど、ぐっと良いよ」
「そうか」
 はちょっとした食べ物を持ってきてくれて、そんな時間だったのかと思い出す。
 水を片手に、少々硬いパンを口に放り込んだ。
「……いやー、違和感があるね」
「ああ、この髪か? 仕方ないだろう。例の『黒は』って奴だ」
 の髪は、普段の黒色ではなく、染められて鳶色になっていた。
 黒で見慣れているためか、物凄く変な感じだ。
「ところで。湯治について来た本当の理由は?」
 小さなボトルに口をつけて、水を飲みつつ聞く。
 彼は腕組みをし、部屋の壁に寄りかかって片手を軽く上げた。
「この前の妙な要求をしてきた男どもの一件で、ユーリが狙われているのは分かっただろう」
 船を眞魔国に寄せてきて、いきなり『魔王と時期王妃を寄越せ』とかほざいた輩のことか。
 思い出し、はふむと頷く。
 そこを考えれば、自ずとが同行したいと言い出した理由も判るというものだ。
 今、自分たちが向かっているのは、一応人間の土地だが、割合中立的立場を取っている場所らしい。
 商業都市だそうだし、手広くやった方が懐が肥えるという、商魂逞しい人たちの場。
 そういう場所に、お忍びとはいえ魔王が行くとなれば、この間の輩が狙ってくるかも知れない。
 仲間が居て、情報を往き来させていれば、の話だが。
「何もなければ、それでいい。何かあったら、その時は」
「……うん。でもそれって、ユーリには隠しておいたほうが良いよね?」
 せっかくの湯治なのだ。
 グレタの件もある。
 余計な荷物を背負わせないほうが良いだろう。
 は静かに頷いた。
 は彼を伺い見る。
「でも、いいの?」
「護衛のようなことをして、か?」
「まあ……つまりそういうことだけど」
 は床に視線を向けて、息を転がした。
「『国』に深く関わるつもりはない。だが、お前にばかり苦労させるのも、オレとしたら大問題なんだ。何かあってからでは遅いしな」
 彼は首を振り、を見た。
。気をつけてろよ。お前だって狙われてるんだ」
「私は大丈夫だよ」
 それが本気の『大丈夫』だったから、は素直に頷いた。
 もしこれが、無理をした上での『大丈夫』だったなら、彼はしかめ面になっただろうけれど。



2008・12・23