幕間 6 美香蘭とやらのせいで、は部屋に缶詰状態。 食事も室内で摂ったほうが良いだろうということで、侍女に運んでもらおうと顔を出した時、運が良いのか悪いのか、ツェリに会ってしまい、そこから夕食会になってしまった。 香の効果は顕在で、ユーリやコンラッドのみならず、普段は冷静沈着そのもののグウェンダルが、微かに異なった雰囲気を向けてくるのには驚いた。 常はユーリばかりに目が行っているヴォルフラムまでもが、妙にを気にしているのも違和感がある。 ということで、正直、物凄く居心地が悪くて、は早々に夕食会を退出してしまった。 今は、紋章繋がりの仲間と、気を使ってくれたのか、お菓子を持ってきてくれたユーリ、それから果物を持ってきてくれたコンラッドが、の部屋に溜まっていた。 いかに部屋が広くても、部屋主を入れて総勢6人は多い。 少々手狭に感じるのは、気のせいだろうか。 はコンラッドの持ってきた、名前は判らないが、林檎のようなものを口にする。 近場の壁にもたれて腕を組んでいるコンラッドが、優しげに微笑む。 「美味しいですか?」 「うん。美味しいよ、ありがとう」 微笑み返す。 とたん、咳払いが聞こえた。 ルックだ。 彼はもともと不機嫌そうではあるのだが、今日は特にそう。 コンラッドと同じく、壁に寄りかかっていた彼は、おもむろにとの横に、どっかと座った。 「……全く。莫迦だね、君たちは!」 唐突に怒られ、は目を瞬く。 ルックに文句を言われるのは、慣れている。 出会い頭に言われることも少なくはなく、けれど不快には思わない。 彼の怒りの真意がどこにあるのか、それがとりあえず判らないのだが。 「ええと……ゴメン」 「まあまあルック。が困ってるよ。ちゃんと言葉を足してあげないと」 同じく椅子に座っているが、抑えて、のポーズをとる。 鼻を鳴らして押し黙り、ルックはじろりとユーリ、コンラッドを睨み付けた。 それから視線をに移す。 「。本気でこんな奴らにを渡す気かい? まだの方がマシだ」 「まだって、酷いなあ、ルック。一応ちゃんとした王様やってるのに」 けろりと笑う。 ルックは無視。 はというと、を見て微笑み、それからルックを見やった。 「誰も『渡す』とは言っていないさ。だろう?」 コンラッドに視線を移し、は薄く笑む。 反応は、ほんの微か。口元が引き締まっただけだ。 「確かに、紋章の力を緩めるとは言ったさ。でも彼女を売り渡したつもりも、毛頭ない」 の髪に、の指先が触れる。 限りなく黒に近い自分の髪を撫でるを、自然のものとして受け入れていると、やたらコンラッドの視線が突き刺さって来る。 ……ええと、怖いです。 そう感じているのはだけのようで、はごく普通だ。 「と『恋人』になりたいなら、そうすればいい。でもオレは、彼女が誰かに惚れでもしない限り、今までのスタンスを崩すつもりはない」 「なんだよ、それは……」 ルックは呆れて額に手をやる。 話題の当事者であるといえば、何がどうなっているのかサッパリだ。 恋人だのなんだのって、別次元の話のようで。 「つまり――彼女を惚れさせて、彼女とつがいになったら、その時は『渡した』ってことになるかも知れないが、今は違うさ」 「詭弁だよ、そんなのは」 納得できないと腕を組み、ルックはユーリとコンラッドを、こちらに来てから過去一番の険しい顔で睨み据える。 ユーリは何故だか、へこへこと頭を下げていた。 別に何も悪いことをしていないのに。 コンラッドは軽く手を上げ 「失礼。ルックはが好きなのか?」 ずばり聞いた。 ルックはひどくしかめ面になる。 「彼女は僕の弟子みたいなものなんだよ。腹立たしいことに恩もある。変な男にひっかかって、不幸になってもらっては困るんだ」 「そう?」 内心を見透かすみたいに、コンラッドの声は笑いを含んでいる。 「どちらにしろ、の気持ち次第なんだね」 話を聞いていたが頷いた。 は正直、頭を抱えたくなってきていた。 一番苦手だ、こういうの。 「あ、あのさ、。おれはさっきも言ったけど、友達からでいいから」 「ユーリ……だからもう友達でしょ」 彼があまりにも恐縮しながら言うものだから、なんだか緊張がするっと抜けて、気が楽になる。 なんだろう。とは違う落ち着かせ方をしてくれる。 とても懐かしい感じ。 笑いあっていると、コンラッドがやたらと爽やかに 「ユーリ、抜け駆けですか?」 呟いた。 青空のように爽やかなお声なのに、背筋が寒くなったのは何故でしょう……。 思わず肩をさする。 は息をつき、 「ともかく、そういうことだ。最後はが決めることだよ」 の手をとる。 真剣な瞳で射貫かれ、少し顔を引き締めた。 「……前も、言ったことがあるが。君の世界を、オレで狭めたくはないんだ」 かつてと離れる時、言われた言葉だ。 あの時とは状況が全く違う。 けれど、彼の言葉は同じ。 そして多分、気持ちも同じだ。 「可能性を潰したくない。君が愛しいから」 「……」 「色々なものを見て、感じて欲しいんだ。オレたちが、本当に子供だった時みたいに」 今だって、色々なことを感じてるつもりなのに。 反論しようとして、に口を塞がれた。 懐かしい感触。 周囲があっと声を上げて、理解した。 ……きょうは、いろんなひとに、チューされますね。 は思わずを押し返す。 彼は存外あっさりと離れた。 「ははっ、久しぶりだな」 「っーーー! 人前でなんてことを!!」 真っ赤になっての頭を叩こうと振り上げた手は、力なく下ろされる。 が、あまりにも優しい顔をしていたから。 「大丈夫。オレはいつだって、傍にいる。ルックもも、みんな居るよ」 よしよしと頭を撫でられ、なんだか涙が出そうになった。 ルックが大仰にため息をつく。 「分かったよ、もう。あんた達の好きにすればいいさ」 がコンラッドとユーリを見、意地悪く笑む。 「言っておくが、に夜這いをかけようなんて不埒な男は、問答無用だぞ」 「そりゃ残念」 コンラッドが爽やかな声で言う。 ……やる気だったんかい。 みんなが立ち去った後、はベッドに仰向けに転がった。 こちらの世界に来てから、なんだか色々なことがあって、面白いような、疲れるような。 たぶん、自分の世界に居た頃は気づかなかった。 『生きている実感』が、ほんの少し損なわれていることに。 きっと、が『色々なものを見て、感じて欲しい』と言ってきたのは、そういう所に要因があるのだと思う。 「……昔の私、かあ」 ぽつりと呟き、瞳を閉じる。 はとても小さい頃、お嫁さんになりたかった。 怖いものから守ってくれる、誰かのお嫁さんに。 あれからもう長い時間が経った。 多くの経験を積んだ。 お嫁さんになりたかった『子供』は、何処かへ消えてしまった。 眠気に負け、夢の入り口に向かいながら、は頭の奥で、紋章から伝わる言葉を認識する。 『お前が誰を好きになっても、オレはをずっと愛してるよ』 は、微かに返事を返す。 何を返したかは、覚えていない。 2008・7・22 |