幕間 2




 ユーリが仕事に戻ってからも、コンラッドとはキャッチボールを続けた。
 軽い会話を交わしながら、約一刻と半。
 コンラッドは軍人だし、は軍人ではないが戦をする人間で、だからこの程度では疲れはしない。
 それでも、どちらからともなく遊戯を終了した。
「ごめん、コンラッド。お仕事あったりした?」
 窺うように見つめるに、コンラッドは軽く手を振る。
 もしそうなら、とっくに戻っているという意味だと気付き、ホッとした。
 まだ夕暮れには少し早いけれど、そろそろ戻って他のことをしよう。
 息をつき、グローブを外した。
 ユーリよりも少しばかり強い勢いで投げ込まれる球は、まだ上手くはないの掌を、衝撃でか、ほんのり赤く染めている。
 痛くはないけれど。
「これからどうするんだい? もう部屋に戻る?」
「んー。折角身体を動かしてこなれてるし、鍛錬でもしようかな。付き合ってくれない?」
 何気なく言いはしたものの、彼は確か女子供に手を挙げることに厭いがあった気がした。
 今まではこちらの国の兵士たちや、とばかり訓練していた。
 その最中、兵士達がよくよく言っていたものだ。
 ――ウェラー卿もフォンヴォルテール卿も、とても強いんですよ、と。
 一度、手合わせしてみたいのは本当で、だから彼が頷いてくれたら嬉しいのだが。
 唸り、値踏みするようにコンラッドを見つめると、彼は軽く肩をすくめる。
「俺では、君の相手には不足かも」
「まさか」
 不足など在り得ないだろう。
 他人があれほど認める実力者なのだから。
「……少し、お願いできるかな……稽古」
「ああ。こちらこそ」


 兵士の訓練所に足を運ぶと、見知った顔が何人か声をかけてきた。
「あれ、。どうしたんだ? 閣下もご一緒で……」
 亜麻色の髪の青年は、この場にセットで来たことのない2人に驚いている。
 ……そういえばここに来る時は、いつもと一緒だったっけ。
 とはいえ、そんなに驚く必要もないと思うが。
「少し、彼女と手合わせしようと思ってね」
 軽く言って、コンラッドは訓練所の、割合スペースが空いている所へと移動する。
 も適当に彼との間合いを空けて立った。
 彼が剣を取る。
 彼女は一礼してから、二つ折りの棍をひとつにした。
「手加減無用かな?」
 いつもと変わらない笑顔だが、この場においては友好的なそれではない気がする。
 は軽く瞳を閉じ、開いた。
 己が、優しくない目をしていると理解する。
 これは戦のための闘いではないが、長年の戦いで体に染み付いた感覚を排除するのは、とても難しい。
 訓練だから、決死の覚悟で臨む必要はない。
 その点では気が楽だ。
 コンラッドは笑顔を引っ込めた。
「――それでは、お願いします」
 が言い、
「こちらこそ」
 彼が答える。
 一種の張り詰めた空気が、場に広がった。


 コンラッドはまず、棍の動きを把握するのに時間を取られているようだった。
 さすがに手練と呼ばれる人だけあって、なかなか隙を作ってはくれず、攻撃のリズムが取り辛い。
 斬撃を棍の腹で受け止め、軽く押し返す。
 微かに空いた腹への路に、ひゅぅ、と息を吐きながら棍先を走らせる。
 瞬間的に身を引き、攻撃を遅らせたコンラッドは、の一撃を剣の腹で受け止めていた。
 はそれ以上踏み込まず、棍を回転させながらバックステップで距離をとる。
 身構え、間合いを計った。
 彼の攻撃は重たい。
(……力はビクトールだけど、流れはフリック)
 かつて共に戦った傭兵に当てはめて、そんなことを思った。
 やり辛い。――が。
 が口端を上げて笑むと、コンラッドは眉を潜めた。
 彼は大きく足を踏み込み、隙を極力排除した鋭い攻撃を打ち込んだ。
 は棍で受け流し、くっと体を折り曲げる。
 そのままコンラッドの胸めがけて、棍を横に構えたまま突貫した。
「っ!!」
 驚くコンラッド。
 馬乗りになったは、彼の喉元に軽く棍を当てる。
「……参ったな、降参だ。油断したよ」
「実戦なら、あなたの勝ちでしょ」
 もし彼が本気で――を屠る対象としてみていたなら――もっと手こずったはずだ。
 それに、彼の上に乗った直後、は彼に刺されていてもおかしくない。
 コンラッドは、片手に剣を持ったままだったのだから。
 息をつき、はコンラッドの上から退いた。
 コンラッドは額に手をやり、軽く笑う。
「強いな。動きを読むのが難しい」
「手加減してたくせに」
 棍を二つに折りながら言うと、彼は肩をすくめる。
「君だって、人のことは言えないだろう?」
 言われてしまえばきっとその通りで、だからもそれ以上何も言わず、口をつぐむ。
 周囲の兵士たちは、とコンラッドの訓練について、あれこれと話をしているようだ。
 気づいていなかったが、どうやら随分と注目の的になっていたらしい。
「さて。良い汗かいたし、お風呂にでも入ってくるかな」
「ご一緒しようか?」
 物凄く爽やかな香りのある笑顔で、とんでもない発言だ。
 一瞬呆けて、は側頭部を掻く。
「魔王といい、あなたといい……。魔族っていうのは、スキンシップが過剰なの?」
にだから、かな」
 クスクス笑うコンラッドは、並の女性ならクラクラきそうな笑顔で。
 確かに彼は、格好いいのだろう。
 侍女たちが騒ぐのも、解らなくもない。
 残念ながら、自分はその『騒ぐ人たち』の中には、入れないような気がするが。
「だからー、前も言ったでしょう。そういうのは、もっと可愛い子に言うべきだって。それじゃ、お疲れさま」
 はひらひらと手を振り、訓練所を出た。
 残されたコンラッドは、苦笑し、次いで、それと気づかないほど小さなため息をついた。



 自室に戻ったコンラッドは、上着を脱いで椅子にかけ、きっちりと上までと留めたシャツの首元を緩める。
 留守の間に置かれたらしい書類をざっと眺め、急ぎがないことを確認した。
 風呂に入るかと思っていたところ、ノックの音が耳に入る。
 よく知っている不機嫌な声が、同時にかかった。
「グウェン、どうしたんだ」
「明日、お前の部下数名を、人間の多い地区へ視察に向かわせたい」
「ああ……」
 この間の馬鹿げた騒動を起こした連中の一派が、人間地域に紛れていないか――とりあえず警戒というところか。
「俺の方は問題ないよ」
「……ところで、今日はと剣を交えたそうだな」
 唐突に話題が切り替わる。
 コンラッドは軽く頷いた。
「相手は剣じゃなくて、棍だけどね。強いよ、驚く位。グウェンは手合わせしたことが?」
「いや……とはあるが」
 そういえば、グウェンダルは小さくて可愛いもの好きだ。
 彼からすれば決して大きくはないを、傷つけるようなことは、あまりしたくないに違いない。
は強いだろう? 俺はまだ手合わせ願っていないんだが」
「正直、本気を出されたら私では危ういだろう」
「それはそれは……」
 肩をすくめるコンラッド。
 眞魔国随一の使い手を凌駕するとは、あちらの国で、どんな生活をしてきたのだろう。
 思い、ふとの――戦いにおける瞳を思い出し、口元が緩む。
 グウェンダルはそれを見て、眉を寄せた。
「……どうした」
「ああいや、の瞳を思い出してね」
 無言で先を促す兄に、
「――彼女は戦鬼の目を持ってる」
 呟いた。
 兄の眉間の皺が、更に寄った。
 自身が気づいているか否かは知らない。
 ただ、コンラッドは彼女の目に、ひどく惹かれている。
 普段の明るくて柔らかい雰囲気の中に、時折、成熟した大人の艶やかな瞳があって、それが自分に向けられるのが嬉しい。
 艶いだ彩は、手合わせをしている最中の、戦いの目の中にもあった。
 鋭くて、甘い視線。ひどくゾクゾクする。
 彼女が馬乗りになってきた時、躰が勝手に、彼女を抱きしめてしまうのではないかと思った。
 自分が考えているものに気づき、コンラッドは思わず苦笑を零す。
 首を傾いだグウェンダルに、彼は視線を向けた。
「どうしようか、グウェン。俺はどうやら、に惚れてしまったらしい」
「……あれは一応、ユーリの婚約者だと思ったが?」
「そうだな」
 けれど、残念ながら、気づいてしまったものを無にはできない。
 また、する気もない。
 何かを心配しているような目で見るグウェンダル。
 コンラッドは肩をすくめる。
には先に、許可をもらっておくよ。問答無用で魂を吸われてしまいたくはないからね」
 ユーリに宣戦布告もしないとね。




相変わらず好き勝手書き連ねてます。
2007・12・27