幕間 1



 例の、ユーリと王妃を連れ去ろうとして捉えられた者たちの大半は、グウェンダルによって、人の国に送り返されたと聞いた。
 送り返された先で何がどうなるかユーリには判らなかったが、前途は明るくないはずだ。
 グウェンダルは事後処理に追われ、雑務が増えているらしい。
 目下、ユーリの仕事はいつもと変わらずで、仕事と言うよりは勉強に多くの時間が割かれている。
 ユーリは深々と溜息をつき、窓の外を眺めた。
「陛下っ、憂うお顔も美しい……!」
 ギュンターのトンデモ発言に、ユーリは形容し難い表情を浮かべる。
 血盟城は平和だ。
 でも、全部の国が平和なんじゃない。
 眞魔国でも、困っている人がたくさんいるかも知れない。
 まだ自分が未熟で、気付いていないだけかも。
「……早く、立派な王様にならないとな」
 呟くユーリに、今しがた入って来たが、ひどく不思議そうに首を傾げた。
「肩肘張っても、いい結果なんて出ないよ?」




 一息つけば、と言ってみたは、ユーリに誘われて、今は何やら広い場所に。
 は不思議そうに、自分が今、右手に持っているものを見やる。
 球。つまり、白いボール。
 ユーリと、彼に同じく誘われてこの場にいるコンラッドは、その球を投げあっている。
 左手に茶色い、大きな手袋みたいなものを着けて。
 暫く見ていると、ユーリが大きく息を吐いて、こちらに来た。
もやろうよ」
「ええと……このボールを、投げればいいんだね?」
 コンラッドが歩い来て、彼が着けていた茶色の何かをに渡す。
「はい。これを使うんだ。は、ベースボールを知ってる?」
「べぇすぼーる。知らない」
 ユーリが説明する所によると、ベースボール、つまり野球とは、球を打ったり投げたりする遊戯らしい。
 それでお金を貰って、生活している人もあるそうだ。
「とにかくやってみようぜ。軽く投げてみて。おれの方に」
 このゲームが好きなのだろう。
 嬉しそうに距離を取るユーリを見て、も微笑む。
 側に居るコンラッドが、球の握りかたと取り方を教えてくれた。
 彼曰く、握り方も取り方も、ユーリ仕込みなのだそうだが。
「……うん、こう?」
「ああ。もう少し、肩を楽に」
 自然な動きで肩に触れられ、自分の身体が強張っていたのを知る。
 コンラッドの指が肩から腕に移動する最中、それを認識した。
 遠くでユーリが、
「コンラッド! へっ、変な触り方してるなよな!!」
 どことなく顔を赤くして叫んだ。
 とコンラッドは、お互いに顔を見合わせる。
 変な触り方……?
 怪訝そうに眉を寄せる
 対してコンラッドは、はちきれんばかりの笑顔。
「いやだな陛下。俺がそんなことをする筈、ないじゃないですか」
「う、胡散臭い笑顔で何言ってんだよ!」
「胡散臭いって、酷いな」
 微妙な言い合い(ですらない、多分)をしている2人を他所に、は肩を軽く動かした。
 よし、大丈夫。
「じゃあユーリ、投げるよ!」
「あ、え……おうっ!」
 神経を集中し――は気合いを込めて、思い切り投げた。
 球は一直線に突き進んだ。
 初心者で女の子だからと、油断していた所があるのだろう。
 ユーリは慌て、軽く驚いた声を上げながら、それでも彼女のボールをキャッチした。
「うわっ、すっげぇ! ほんとに初心者!?」
「今のでいいのかな?」
「ええ、上手ですよ」
 コンラッドの笑顔に、もなんだか嬉しくなって。
 茶色の球取り道具――グローブ――を胸に抱きこむようにして、えへへと笑う。
「おーし、じゃあ今度はおれから投げるぞ」
「うん、どうぞ!」
 ユーリの手から、ボールが飛んでくる。
 配慮してのことだろう。
 柔らかい曲線を描いて落ちてきたそれを、は柔らかい動きでキャッチした。
「へー、取るのも上手じゃん。、おれの野球チームに入らねえ?」
「眞魔国に、チームがあるの?」
「まだ総人口は少ないけど、おれ、野球小僧だし。国技にしようかと思ってるし」
 国技。なるほど。
「そういえば、の国に国技はあったのかい?」
 コンラッドに問われるが、すぐに返せなかった。
 あったっけ? 国技。
「国を挙げて何かを、っていうのは……どうだろう。個人趣向的に、踊りだったり、剣舞だったりっていうのはあったけど」
 たぶん、コンラッドやユーリが言うような国技は、存在しなかったように思う。
 解放運動の後、大統領が治める国になってからも、そういうのはなかった気が。
んとこにも、野球ってないんだなー。そしたら、そっちの国にも野球を教えてやりたいなあ!」
 嬉しそうなユーリ。
 本当に野球が大好きらしい。


 ユーリは竹筒に入っている水を飲みながら、キャッチボールを続けているとコンラッドを見つめた。
 元々運動神経が良いらしいは、飲み込みが早い。
 じゃあバッターはどうよと、バットを握らせ打たせてみたら、フォームは滅茶苦茶だが、ちゃんとバットに当たる。
 物凄い大当たりはしないが、当たるのだから凄い。
 初心者に多い、フルスウィングして空振りがない。
「……うん、気に入ってくれたみたいだ」
 ぽつり、独りごと。
 は本当に楽しそうに野球をしてくれていて、だから凄く嬉しい。
 その相手をしているのが、自分じゃなくてコンラッドだというだけで、なんとなく引っかかるけど。
 チリチリした何かをちゃんと認識したいのか、したくないのか。
 戸惑うユーリに、コンラッドが声をかけた。
「ユーリ、どうやら仕事再開のようですよ」
「え?」
 振り向けば、血盟城の窓から大手を振り――たぶん、何か汁も出ているだろう――ギュンターが、激しく叫んでいた。
 その殆どがユーリへの賛辞という、本当に仕事の件でなのか判らない発言だったが。
 大声で愛を振りまく王佐。
 もう慣れた自分がいて、ユーリは失笑を零した。




2007・12・7