互国響動 27




 ユーリはゴクリと咽喉を鳴らし、庭の見える外廊に佇んでいるに、思い切って近づく。
 なんと声をかけようか考えていたのに、それより先に、彼の方が声をかけてきた。
は、どうした?」
 いきなりの問いかけに一瞬遅れ、
「あ、ああ、えっと……の部屋を決めてる。ヴォルフラムが引率で」
 慌てて答えた。
 彼はただ頷く。
 ユーリは緊張している自分を自覚しながら、の隣に立って、彼と同じように階下の庭を見つめた。
 頭の中では、言うべきことやら言いたいことやらが、わんわん飛び回っている。
 落ち着いて景色を楽しんでいる余裕は、どこにもない。
 暫し自分を落ち着けて後、ユーリは口を開いた。
「あのっ、おれ」
「それに続ける言葉が謝罪なら、止めておいた方がいい」
 制され、言葉が止まる。
 まさにその通りだったから。
 は笑むでもなく、ユーリに目を向ける。
「謝れば、君は自身の『不戦』に土を付けることになるかも知れない。君は王だ。王の言葉は、慎重に選ばれるべきものなんだよ」
 城の中でも、誰が聞いているとも知れないのだから、発言には注意しろと、彼はそう言っている。
 安易に発した言葉が、その後の路を決めてしまうことも、大いにあるのだから、と。
 だがの求めるそれを実行するのは、ひどく難しい。
 そのせいで、先ほども彼を怒らせたというのに。
 ユーリはため息をつき、うん、と頷いた。
「それでも……たちに、酷いこと言ったから。――だから」
 の前にまっすぐ立ち、ユーリは深々と頭を下げる。
「ごめん」
 歯切れのいい謝罪に、は目を瞬き――表情を緩ませた。
「謝ることはない。だいたいに置いてお前の発言は事実だったし、酷いという程でもない」
「そんな」
「戦って誰かを傷つけて生きてきたし、オレは決して優しくないからな」
 黙りこむユーリ。
 自分はの人生の多くを知らない。
 の話を聞く限り、彼は王様を蹴った人物で、多くの戦いをこなしてきた人で。
 自分とは全く違う人生を送ってきたことに、違いはなかろうが。
「オレももルックも、ユーリと同じように戦いが嫌いだ。人を傷つける以外にも、理由はある」
「他の理由……?」
 ふいに、の右手が目に入る。
 もしかして、と瞳で訴えると、彼は頷いた。
「ああ、そうなんだ。戦の最中、真の紋章を持つ者は、大いに利用される」
「リーダーになったり、とか」
「そうだな。人の象徴になり易いんだ」
 軍主として、みなを引っ張る状況になることが、往々にしてある。
 それ故に、不本意な決定をせざるを得ない状況にもなる。
「大嫌いな言葉だが、『運命』とやらに、よくよく真の紋章持ちは巻き込まれる。だから自然に、戦争の深い部分に組まれたりもする」
 運命、と口の中で呟くユーリ。
 彼もまた、運命のようなもので眞魔国に引き寄せられた。
 似通っているが、違ってもいる。
 は大仰にため息をついた。
「オレやは軍主として戦い、やルックは、紋章師団の部隊長として戦った。そうせざるを得なかったから」
が、部隊長!? マジで?」
 確かに、戦っているときのは凛としていて、人を侮らせない雰囲気がある。
 コンラッドやグウェンダルたち軍人と、ひどく似た雰囲気が。
 腕を組んで唸るユーリ。
「ユーリ、質問だ。これは、オレやが経験したことなんだが」
 質問と言われて少しばかり顔を引き締めると、は軽く笑った。
 そんなに緊張することはないと。
「正面には、話を全く聞かない軍。背後には、庇護を求める民。お前が逃げれば、民は弄られ、搾取され、殺される」
 言葉を切り、
「お前ならどうする?」
 問う。
 ユーリは眉根をぎゅっと寄せる。
 戦いはいやだ。でも、今のの問いで、何をどうできるか判らない。
「偉い人に、話をする……?」
「彼らの王は、和平の使いを首だけで戻してくれる、有難い人だ。話して、どうなるものでもない」
 ぐっと詰まる。
「じゃあ、他の国に助けてもらうとか」
「当時、トランは国交が乱れていた。借りができ、後でどうなるか判らないな、それは」
 国内紛争が片付いた頃に、無理難題を押し付けられるかも知れない。
 または、国が整っていないのを幸いにと、自分の領地にしようとする輩が進行してくるかも。
 他国の力を安易に借りるというのは、危険が伴う。
「……他には?」
 先を促すに対し、ユーリは言葉が出てこない。
 何をどうしても、正面の軍との戦いは、回避できそうにない気がした。
「今のってさ、事実なのか? たちは、そういう立場にいた? 他に道はなかったのか?」
「事実だし、そういう立場にいたことも間違いない。他の道は、なかったんだ」
 が諦めれば、民だけれではなく、を信じてついてきた多くの人の命を、簡単に手放すことになる。
 そんなことが出来るはずはなかったし、また、したくもなかった。
「両方が納得し、戦わずに済む何かなんて、1つもなかった」
 苦いものを噛み潰したようなの表情に、ユーリは恥じ入る。
 ――強いから、全部を武力行使で済ますのかよと叫んだ、そのことを恥じていた。
 彼は、その時の最善を尽くしていただけなのに。
 不戦や平和というのは、相手もそれを――少しでも望んでいる場合に、成されるものなのかも知れない。
 どんなにこちらが無血を望んでいても、相手が流血を望んでいるのなら、取るべき道はひどく限られる。
 押し黙るユーリ。は続ける。
「敵対している彼らは、人としてあるべき一線を越え、二度と戻ってこなかった輩ではない。一部はそういう者もいるかも知れないが、大半は違う。多くの善良な者が、争いで命を落とすんだ」
「……」
「時と場所が違っただけで、敵対することは馬鹿げている。けれど、そうしなければ、オレたちは生きてこれなかったから、お前よりもずっと、戦いを厭う心の範囲が狭い」
 大きく息を吐く。
 はユーリをまっすぐに見つめた。
「争いは、ひどく馬鹿らしいものだ。多くを犠牲にし、得る物がないこともある」
 正義を掲げてみても、ある面から見れば、悪以外のなにものでもないことも、ままある。
 ユーリは彼に、「君らは無用に人を傷つけないだろ?」と訊いた。
 は瞳を軽く閉じる。
「リーダーというものは、こと戦争においては――人を傷つけるものだ」
 それがどんなに必要だったとしても、争いは単なる争いであり、傷は傷だ。
 大義名分があっても、人にとっての苦痛は、苦痛でしかない。
「戦わなければ、を傷つけはしなかった。オレ自身が、彼女を……」
 ひどく、辛そうな顔。
 ユーリは、なんと言葉をかけていいか判らず、でも何かを言おうとして、口を開く。
「あの……さ、でも、は綺麗だよ、どこも怪我してないし」
 結果、とんちんかんな発言になった。
 は苦笑する。
「まあ、服で隠れてるからな、普段は」
 どこ、とは明言しないが、とにかく大きな傷なのだろうと思わせる雰囲気だ。
「なんで、傷つけちゃったんだ……?」
「オレも最初の頃は、紋章の制御が上手くなくてね。を助けようとして使った力が、彼女を瀕死にさせた」
「ひ、瀕死って……そんなに酷かったのか」
「ああ。――今も彼女には、オレが付けた痕がある」
 彼が言った言葉は、何より重たくて、ユーリの胸にごろりと転がる。
 は明らかにを好いているし、大事にしている。
 その彼が彼女を傷つけた。
 決して望んでなどいなかっただろうに、傷つけてしまった。
 もし自分が同じ立場なら?
 ――想像つかない。恐ろしくて、考えたくない。
 知らず、拳を握り締めている自分に気付く。
 ユーリは、ゆっくりと掌を開いた。
「覚えておくといい。自らの正義や良心で起こした行動さえも、誰かを傷つけるかも知れないと」
 が、を護ろうとして傷つけたように。
「リーダーというのは、それを心に留めて、それでも進まねばならない」
「……うん」
 頷くユーリ。
 の言葉は重たくて、臓腑をごろごろと転がっていくのさえ判る気がする。
 けれど。
 彼の言葉は、そのまま彼の人生で。
 たぶん、、ルックの人生でもあって。
 は目を細め、鋭い眼差しで、ユーリを射抜く。


「お前が間違い続ければ、いずれ討たれる日が来る。――オレが帝国を滅ぼしたように」


 臓腑を転がる何かが、急に速度を速めた気がした。




11・30