互国響動 26



 沈んだ空気の中、はその空気を作り出している主たる人物――ユーリを見やる。
 グウェンダルやコンラッドは、ギュンターに呼び出されてこの場から退出していた。
 ヴォルフラムは腕組みをして、ただ黙って座っている。
 妙な雰囲気を察してか、侍女はお茶を淹れると、さっさと部屋を出て行ってしまった。
 それ位に、空気が重い。
 は淀む空気を振り払うように、息を吐く。
「……おれ」
 ユーリが、口を開いた。
「おれ、を怒らせるつもりじゃ、なかった」
 弱々しく告げ、視線をに向けるユーリに、彼女は小さく頷いた。
「解ってるよ。……ごめんね。私たちは軍人ではないけれど、戦って生き抜いてきた者だから……」
 ユーリの言葉は、決して間違っていない。
 不戦を掲げ、それに真っ直ぐ進む。
 それは素晴らしいことだし、そうあるべきだと思う。
 けれど。けれども。
 言うべきか、言わざるべきかと悩む横で、がひとつ頷いた。
さんは、なんていうか……覇王なんだ。統率者の器、っていうのかな」
「……戦争があってもなくても、たぶん、昇っていく人ではあったよ」
 はそう付け加えた。
 単なる貴族の息子というだけではない、生まれついて持っていた素質。
 幸か不幸か、解放戦争の最中に素質という原石は磨かれ、整えられた。
 的確な指示を与えることも、人を上手く使うことも、ぜんぶぜんぶ、争いの中で。
 は首を振る。
「ユーリ。こちらに来たばかりで、右も左も判らないボクに、こんなことを言われたら腹立たしいと思うけど、それでも言わせて欲しい」
 微かな間を置き、
「『今回はこれで済んから良い』と、君は言ったよね」
「え……あ、ああ、言った……」
 ひた、とユーリを見つめる。
 その目は、『少年』のする瞳ではなかった。
 こちらもまた、戦乱を抜けてきた者の目。
 そして――ユーリと同じ立場を、長く続けてきた物の目。
「君はこの国の王様なんだよね?」
 静かに頷くユーリ。
「だったら、覚えておいて欲しい。『済んだからそれで良い』なんて言葉は、結果に甘んじ、多くを放り出す言葉だと」
「おれはっ……」
 ユーリは何かを口にしようとして、結局そのまま閉じた。
 もしかしたら、何を言いたいかも解っていなかったのかも。
 は静かに続ける。
「王であるなら、済んだことのその先を、誰よりも早く考えなくちゃならないんだ」
「済んだ、その先……?」
「その『事柄』が起きた原因だったり、その後の安全だったり、色々あるけど、それは時々で違う」
 王が考えたそのことが最善なのかどうか、一緒に考えるのが参謀だったり、協力してくれる誰かだったりする。
 言葉一つで完結するような種のものなど、殆どない。
 そのことを、はよく知っている。
 人を統率するということを、よく知っているから。
 だからこそ、ユーリが――これで済んだから良いのだと――失言をした時に、ははっきりと怒りを覚えたのだ。
 王自らが、『事件』に蓋をしようとしていたから。
 本心でなくとも、それを口にしたから。
「……ってさ、王様なのか?」
 ユーリの問いは、に向けられたもの。
 ヴォルフラムも同じように考えていたのか、彼女を見つめている。
「違うよ。は……彼は王様じゃない。解放軍のリーダーで、統率者ではあったけど、王ではないの」
 は、酷い時代を終わらせただけ。
 血反吐を吐く民の叫びに気付き、立場を捨てて、自分がそうしたいと思ったことを為した――ただそれだけだ。
「治めることは、別の人に託したの。何しろの真の紋章は、大事だと思うものを喰らっていくから。国を治める人向きの紋章じゃない」
 ひとつ息を吐く
 ヴォルフラムは自分の顎下に手をやり、ふと、聞いた。
「……それじゃあ、はどういう立場の人間なんだ?」
は……」
 言っていいものかと、を見る
 彼は軽く笑って、咳払いをした。
「ボクは……こんなんだけど、一応、デュナン国ってところで王様をやってる」
「王だと!?」
が!!?」
 ユーリとヴォルフラムに物凄く驚かれて、は苦笑いを零している。
「そんなに驚かれると思わなかったなあ。ユーリだって、王なんだろ?」
「まあ、そう言われればそうなんだが」
 ヴォルフラムが額に手をやり、難しそうな顔をしている。
 彼の中での『王』という存在と、が上手く結びつかないのだろう。
 つねごろに覇気があるとは違い、の方は、なんというか、普通の少年のように見えるから。
 それが、単なる見せ掛けだけであるということを、は知っているけれど。
「……なあ。は元々……ええと、貴族か何かだったのか?」
「違うよ。ボクはハイランドという国の小さな村で、姉のナナミと一緒に育った、ただの孤児」
 付け足しのように孤児と言われ、ユーリは目を瞬いている。
、ユーリがビックリしてるよ」
 が言うと、
「あれ? そんな大したことじゃないと思ったんだけど……」
 けろりと笑う。
 彼にとっては、孤児だなんていうことは、笑って過ごせる範疇のものだ。
 かつては気にしたことも、大いにあっただろうけれど。
 ヴォルフラムは眉根を寄せる。
「では……どのようにして王になったんだ?」
「詳しく話すと長くなるんだ。だから、簡単に言うと……」
 簡単に言うことに困難を感じているのか、はたっぷり2分は黙った。
「ハイランドという国があってね。そこは、都市同盟という、いくつかの市が同盟を組んで成り立っている国と、戦いをしていた」
は、都市同盟の王様?」
 先を急ごうとするユーリを、が苦笑し、手で制す。
 口をつぐんだ彼を見てから、は続ける。
 彼は当時、ハイランドの、二十前の少年ばかりで編成された部隊にいて、翌日には姉の待つ村へ帰る所だった。
「ボクには親友がいた。ジョウイっていうね。彼と一緒に、帰るつもりだった」
「だった……?」
 不思議そうにするユーリ。
 は、冷め切ったお茶のカップを見つめながら、呟く。
「その日の夜、奇襲を受けた。都市同盟の奇襲と叫ばれたそれは、本当はハイランドの皇族が仕掛けたものだったんだ」
「なぜ、そのようなことをするんだ。少年兵は、自国のための存在だろう」
 ひどく不快気な表情になるヴォルフラム。
「当時はね、都市同盟とハイランドの間で休戦協定が結ばれていた。それが面白くない――狂皇子ルカと呼ばれる皇族が、ことを起こしたんだ」
「……なるほどな。つまり都市同盟が休戦を破り、少年たちを襲ったと吹聴すれば、そのハイランドとやらの世論は、間違いなく戦争に傾く」
 納得して頷くヴォルフラムに、ユーリは複雑そうな顔だ。
 戦争という名に反応してのことだろう。
 はため息をつく。
「実際その通りになったんだけどね。何とか逃げ出したとジョウイは――色々なことがあって、それぞれ輝く盾の紋章と、黒き刃の紋章を身につけた」
「そして、さらに色々なことが重なって、ボクとジョウイは敵対することになった」
「と、友達と敵対したのか!?」
「そう。ボクはボクの信じるもののために、同盟軍主になることにしたんだ。ジョウイは、ハイランド側についた」
「そ、それで……? どうしたんだ?」
さんたちも協力してくれて、決着はついたよ。ハイランドは、都市同盟の一部になった。――もっとも、都市同盟の方にも変化はあったんだ」
 息をつく
 代わりのように、が続ける。
「都市同盟はそれまでバラバラだったの。各市に統率者がいて、好き勝手に持論を掲げてた」
「眞魔国も、似たようなもんじゃねえ?」
 横にいるヴォルフラムに問うユーリに、彼は心外だという表情で、
「僕たちは、王の命令に背いて勝手なことなどしない!」
 そっぽを向いた。
 は頷く。
「まあ、都市同盟はそれぞれの利権を争ってた感があったかな。ぜんぶは知らないけど」
「ハイランドとの戦いで、その亀裂がもの凄くハッキリしてね。ボクや仲間は、それらの市を纏めてひとつの国にした」
「だから、現在は都市同盟ではなくて、デュナン国なの」
「軍主として戦ってきたボクは、国を治める象徴として、恰好の存在だったんだ」
 真の紋章を宿す、少年軍主。
 仲間を率いて時代を切り開いた少年は、人の期待と希望の星だったから。
 デュナンの王に、という言葉は、当然みたいにあちこちから上がった。
「なあ。その、親友はどうなったんだ? それに君のお姉さんは?」
 聞きたそうなユーリに、は息をついて、話す。
 輝く盾の紋章と黒き刃の紋章は、2つでひとつのものだった。
 力を使いすぎたジョウイは疲弊していたし、紋章は1つに戻りたがっていた。
 そこで。
「ボクはジョウイの願いを受け入れて、紋章を1つにしたんだ」
「ジョウイは……?」
「……代償は払ったけど、元気でやってる。姉は、愛する人を見つけて結婚したよ」
 とにかく、と続ける。
「ボクはそれから王として立った。正直、国政なんてサッパリだし、出来上がったばかりの国だから、苦労は並大抵じゃなかった」
「今はどうなんだ?」
「多くを見て、1つずつ学んでるよ。前よりマシになった、としか言いようがないかなあ」
 後頭部を掻き、は笑う。
 ふいに真剣な表情になり、ユーリを見つめた。
「ユーリ。ボクに教えられることがあるなら、協力するよ。君もボクも、決して、愚過ぎる王であってはならないんだ」
 は頷く。
 愚かな王は、民を破滅に導く。
 それを彼女はよく知っている。
 民の悲鳴が聞こえなくなってしまった王は、『王』でなど決してない。
はね、きっとユーリに、解って欲しいんだよ」
「おれに……何を……?」
「全く争いを考えないのは、とても怖いことだって」
 言うに、ユーリは目を瞬いた。




2007・10・30