互国響動 24




 無事に全てを終えて、どちらかといえば、そこからの方が大変なのでは。
 席に着くでもなく、窓際に立っているは、目の前に広がっている場の空気に、居心地が悪くて身じろぎした。
 長方形のテーブル、上手に座っているユーリの機嫌は、どうやら悪いようだ。
 彼から少し離れた右方に座っているグウェンダルの機嫌は、最高潮に悪そうだ。
 眉間の皺が、2割増しではきかない気がする。
 王佐のギュンターは柳眉を下げておろおろしているし、ヴォルフラムもあまり機嫌がよろしくない。
 眞魔国の面子の中で普段通りなのは、唯一、コンラッドだけだ。
 の隣に立っているは、物言わずにいる。
 紫色の瞳は、ただ静かにユーリを見つめているばかり。
 逆隣に立つ――珍しく面倒ごとに付き合っている――ルックは、我関せずを貫いている。
 は難しい顔をして、やはりユーリを見ていた。
 誰もが口を閉ざす中、グウェンダルが深い溜息をつく。
「……とにかく、だ。今回の一件で、何処かの貴族だか金持ちだか知らんが、魔王と『王妃』に興味を持っていると分かった。あんな露骨な作戦を取ったのは、国内に敵を潜ませるための陽動だったかも知れんというの意見、私も同意見だ」
 彼は重たい息を吐き、
「国内の監視に力を入れねばならん」
 ユーリを見た。
 だが、彼はむっつりと押し黙ったままで、代わりのようにヴォルフラムが声を上げる。
「兄上。捕らえた輩を締め上げて、吐かせてみては」
「既に実行した。しかし、判ったことといえば、奴は確かに誰かに雇われているが、糸を引く人間を知らないということだけだ」
 彼らは、ゴロツキというか……一種の何でも屋なのだそうだ。
 犯罪請負人という言葉を使うことも出来るが。
 とにかく、彼らは本当に何も知らなかった。
 指令は手紙を介してのみ行われた。
 彼らが使っていた船や武器は、あらかじめ、とある場所に用意されていたのだという。
 では、その場所はどこだと問うと――彼は、『失敗した者を生かしておくほど、たぶん彼らは寛大ではない』と言葉を告げて。
 そして、永遠に口を閉ざしていられる方法を取った。
「なあ。まさか、また戦争を始めるとか、そういう物騒なことを言い出すんじゃないよな」
 不安と不機嫌の入り混じった声で、ユーリが呟く。
 視線はグウェンダルに固定されていた。
「――場合による」
 その言葉にカッと目を見開き、ユーリは椅子を弾き飛ばさんばかりの勢いで立ち上がった。
 ばん、と両の掌をテーブルに叩きつける。
「戦争だけは絶対にダメだからな! 何べんも言ってるけど、更にしつこく言ってやる! 戦争だけは、何がなんだろうと許可しない!」
「我が国を狙う輩が判明しても、同じことを言うのか」
「とにかく話だろ。1に話、2に話ッ、3も4も……とにかく話! 戦いに戦いで返してたら、いつまでも終わらないだろ! 今回だって、おれが話をつけられたかも知れないし!」
 ユーリは柳眉を上げて、とにかく荒れている。
 隣にいるの気配が、先ほどからひどく刺々しくい。
 は思わず、ユーリが今すぐ口を閉じてくれることを願った。
 何か、決定的な――『不味い』ことを口にする前に。
 グウェンダルは明らかに苛立っているが、それでも会話を続ける気はあるようだ。――まだ。
「今回はこれで済んだんだし、いいじゃんか! 万事解決! 戦争だなんだなんて、考える余地もなし! 以上ッ!」
 激した王はグウェンダルに口を挟ませず、とにかく一方的に言い切って、話をピタリと止めた。
 ユーリは、本当に戦いが好きではないのだと、は首を振る。
 けれど。
 その『言葉』を『王』が言ってしまったのは、問題だった。
 の機嫌が、一気に冷たいものを含んだそれに変わったのを感じて、は思わず彼の腕を引く。
、あの……少し、部屋出ようか……」
 言ってはみるものの、彼は動こうとしない。
 助けを求めてルックを見ても、『好きなようにさせなよ』的な態度で。
 はというと、苦笑を浮かべている。
 ――ああ、誰も止めてくれないのね。
 諦めにもにた面持ちで、は手を放した。
 未だに続いている、グウェンダルとユーリの論争――いや、言い争い――に、の静かな声が割り込む。
「ユーリ。もう少し物を考えろ」
 ひんやりとした声。
 ユーリの目が、を見る。
「……考えろって、争いをすることについて、考えろって意味か」
「それもある」
 妙に冷静なの声に、激したユーリの方は少なからず不快感があるようだ。
 ユーリがそれに気付いているかいないかは、判らないが。
「さっきも言ったろ! 争いは嫌だ」
「ユーリ。思考を放棄するな」
 悪い子を叱咤するような彩の混じったの声に、ユーリは先ほどからの感情もあってだろう、勢いのまま口を開く。
「なんだよ……も、戦争に前向きなのかよ!? そうだよな、たちは強いもんな!」
 口を噤んでいる
 コンラッドが、咎めるように君主の名を呼ぶが、効果を為さない。
「強いから、武力行使で全部治めちまうのか!? たちには、それが普通なのかよ!!」
 大きく息を吸い、吐く。
「会話努力もしねえで、闘いまくってきたのか!? そうなのかよ!! 残念ながらおれは弱くてへなちょこだから、みたいに『強く』なんてなれない! 闘って、誰かを傷つけて、それで平気でなんて絶対いられない!」
「ユーリッ!」
 叫ぶようなヴォルフラムの言葉にはっとして、ユーリの奔流のような言葉が止まる。
 は、自分がどんな顔をしているか、判らなかった。
 怒っているんだろうか。
 悲しんでいるんだろうか。
 けれど、今、最も気になるのは――のことだ。
 『紫魂の紋章』が、彼の怒りを伝えてくる。
 見た目は冷静だけれど、内ではひどく怒っているのが知れた。
 戸惑っているユーリ。
 は瞳を細める。視線に色があるのなら、冷たい青をしているに違いない。
「……会話努力と言ったな。では、教えて欲しい。民を虐げ、雑草の如く刈って行く兵士を、どうすればよかった? そいつらに言うのか。『争いは醜いことだから、止めましょう』と」
 場の空気が肌に突き刺さる。
 以外の誰も、口を開かない。
「腐敗しきった政治を省みず、悪女の甘言に惑わされ続ける、かつての賢帝をどうしたらよかった?」
 グウェンダルの真剣な瞳が、異界からの客人たちを見つめる。
 コンラッドも、ヴォルフラムもまた、たちを見つめていた。
「和平の使いを出し、そいつの首から上だけが戻されるような国と、お前は一体、何を話し合うんだ?」
、おれは……その」
 先ほどと違い、困惑の色が強いユーリの声。
 は瞳を伏せる。
「解放軍の軍主などにならなければ、オレは父を屠らずに済んだろう。テッドから紋章を引き受けなければ、この手で彼の生命を喰らうこともなかったろう」
 ひとつ間を置き、
「――を傷つけることさえ、なかったろうな」
 徐に出入り口に歩いていく。
 扉に手をかけて、止まった。
「ユーリ。お前は正しいよ。オレは強い。だから、誰かの悲鳴を聞いても、泣いてなんてやれないんだ」
 自嘲の笑みを浮かべ、はその場を立ち去る。
 は、怒りなんだか哀しみなんだか判らない感情が胸を這い回っているのを感じながら、慌ててを追おうとする。

 それを止めたのは、ルックだった。
 彼は、それからユーリを見比べて、深い息を落とす。
「僕が行く。あんたは、『魔王』サマとやらを、なんとかしなよ」
「ルック……」
「今、あんたは行かない方がいい。解るだろ」
 いつものつっけんどんな態度の中に、真剣さが混じっている。
 解っている。彼の言う通りだ。
 今、自分がの元へ行けば、彼に嫌なことを――より強く――思い出させてしまう。
「そうだね……うん。を、お願いね」
 彼は答えず、ただ手を軽く振って、外に出た。

 さて――此方はどうしよう?


2007・9・28