互国響動 23



 問題の武装船、それに隣接している高速船へと向かう小さな船の上で、深くフードを被ったままのは激しく溜息をついた。
 その溜息の中にはたぶん、ユーリだけを出せと言われたならば、協力なんてしなかったという意味合いが含まれている。
 なんだかんだと言いながら、知り合った人を放置しておけないへの含みも、多少はあるに違いない。
「ごめんね、。つき合わせちゃって……」
「もう少し、発言には気をつけて欲しい所だが」
 苦笑いするに、は肩をすくめた。
 確かにその通りだ。
 だが、世話になっている国が脅威に曝されるのを、放っておくのも難しい。
 困ったように床を見つめるの頭を、は軽く撫でた。
「まあ、気にするな。オレも、いきなり挑発的な態度を取る輩は好みじゃない。お灸を据えてやるのもいいさ」
「……それにしても、不思議」
「なにがだ?」
の目だよ」
 生来、彼の瞳は紫色だが、現在はユーリと同じ黒色。
 コンタクトズという物を装着しているためだ。
 目に異物を入れるなんて、からすると恐ろしい気がするのだが。
「確かに……なんていうか、異物感があるな。ゴロゴロする」
「うわ。私絶対着けたくない」
 痛そうだし。
 そんな、割合どうでもいいことを話しているうちに、小船は船へと隣接した。
 甲板から縄梯子が渡され、荒っぽい声が降ってくる。
「上がって来い。傍付きどもは、さっさと陸へ戻れ」
 グウェンダルの部下は真剣な表情で2人を見、一礼した。
「さて、。行こう」
「うん。……じゃななかった」
 ここからは、『』ではなくて『ユーリ』と呼ぶべきか。
 魔王という立場でここに来ているのだから。
 ……相手が、本物の顔を知らないことを、切に願う。
 は縄梯子に手をかけ、身体を持ち上げた。


 陸では、グウェンダルとコンラッドが忙しなく兵を指揮していた。
 万が一砲弾が飛んで来た場合に備えて、民を出来る限り安全な場所へと移動させている。
 その様子を見ながら、一番武装船に近い場所にいるは、隣で不機嫌さを隠しもしないルックを見て苦笑した。
「ルック、そんな顔したってしょうがないじゃないか」
 無言でじろりと睨む彼に、は更に苦い笑いを零す。
 人に関わると面倒が起きる――が彼の心情だと、よく解っているから。
さんだって、多分、好んであの状況に居るわけじゃないし」
「一貫して、無視してしまえば良いんだ」
 きっぱりはっきり言うルック。
 言う傍らで彼は、決してがそれをしないだろうと知っている。
 もしそういう種の人物であれば、やルックはここにいない筈だ。
 視線を前方に向ければ、たちが向かった船と、そのお付きらしいもう一隻の武装船が目に入る。
 彼らが眞魔国にどういう感情を抱いているか、それは知らないし、眞魔国が何をしているのかも知らない。
 でも、無抵抗の人民を人質に取るような真似をする、あの武装船の者共のような輩は気に食わない。
 まっすぐにが船を見ていると、縄梯子で船上へ向かうの姿があった。
「……さんたちが、上手く治めてくれるといいけど」
「さあね。にしても、もアンタも、ちょっと甘いよね」
 ルックが最も不服に思っているのは、『主砲が打ち込まれたら、紋章で防ごう』というの言だった。
 も文句が出ると解っていながら、ルックに話を持ちかけたのだが。
「この国にえんも縁もないのに、入れ込みすぎ」
「ボクが心配してるのは、さんとのことだよ」
 怪訝そうなんだか、不機嫌なんだか判らないルックの顔を見て、は微かに見えるの背を眺める。
「突っぱねてるけど、さんて、基本的には優しいでしょう。だから、世話になってる国が燃えたりしたら、やっぱり頭にくるだろうし。に関しては、言うまでもないし」
 が同時に怒髪に来て、暴れでもしたらそれこそ大事だ。
「……どっちにしても、甘いよ、アンタ達はさ」
「それは認めるよ」


 船の甲板で、後ろ手に縄を括られながら、は素早く周囲を確認する。
 帯剣したゴロツキのような男が約6名。
 小型の高速船のようだから、いたとしても後数名だろう。
 ゴツい男がをねめつけた。
「お前が次期王妃か。噂には聞いていたが、随分と色っぽくねえな」
 別に、婀娜(あだ)っぽさで人生を渡って来ている訳ではない。
 反抗するでもなくいると、横からすらりとした井出達の男が、ゴツイ男を叱咤した。
 こちらが主犯格だろうか。
「無礼な態度は止めておけ。――ところで、こちらがユーリ陛下か」
 細身の男は、言葉の割に乱暴な態度で、が被っていたフードを払い取る。
 鮮やかな黒髪が現れる。
 は表情を変えない。
 男は感嘆の溜息をついた。
「魔王陛下は可愛らしいと聞き及んでいたが、端整で凛々しいお顔だな」
 問題にしていた、ユーリの顔を知っているか否かは、どうやら事なきを得たようだ。
 を見て、彼らはユーリだと思っている。
 名前は知っていても、魔王の顔を知る者は少ないのかも知れない。
「……そんなことはどうでもいい。目的はなんだ」
 ユーリだったら、こんな硬質な音で問いかけたりしないだろうが、なので仕方がない。
 肩をすくめ、男はしかたなさそう笑う。
「簡単な話でね。平和主義の魔王さまだというから、人質を取れば、案外簡単に出てくると踏んだ。目的は――まあ、これも簡単な話だ。とある人に頼まれたのさ」
「その、とある人の名前を教えてよ」
 の言葉に、男は鼻を鳴らす。
 最初から答えが戻ってくるとは思っていなかったが、やはり返事はない。
 雇い主をほいほい言うようは輩は、彼らの世界では通用しない。
「オレたちを連れて行って、何をさせようというんだ」
「双黒の魔王は、食えば不老不死だって話だしな。食うんじゃないか?」
 次いでに視線を送り、彼は舌なめずりをする。
 野卑な顔に、思わずギュッと眉根を寄せた。
「こっちの王妃さんは、好事家にでも売られるか、それとも手籠めにされるか……ま、そんな所だろう」
 しゃあしゃあと言う男。
 の瞳が、すぅ、と細められる。
 不機嫌さを隠しもしないに、ゴツイ男がゲラゲラ笑った。
「しかし、魔族ってのは馬鹿なのかねェ。こうも簡単に頭を差し出しちまって……もう少し脳ミソ使った方がいいんじゃねえのか」
 それは、こんな無謀な作戦を立てた君たちに言いたいと、は内心で思う。
 細身の男は、から視線を外し、対岸を見つめる。
 そこには船が数隻。
 そして、グウェンダルが指揮している部隊が見えるはずだ。
「……あの部隊は邪魔だな。追撃でもされたら、たまったものではない」
 言うと、を立たせる。
 遠目にグウェンダルらしき姿があった。
 こちらを睨み据えながらも、きちんと兵士たちを統率しているのは流石だ。
 を掴んでいる細身の男が、くつくつと嫌な笑いを零す。
「何を、しようとしてるの」
「人間が何もできないと思っているのなら、それは間違いだと教えてやるんだ」
 男が片手を上げる。
 ゴツイ男は嬉々とした顔で、隣の武装船に何やら合図を飛ばした。
「さぁ、あれに見える者たちを吹き飛ばしてあげよう!」
 厭らしいぐらい満面の笑みで、手を振り下ろした。
 それを合図とし、武装船から轟音が鳴り響く。
 衝撃で大気が震える。
 の視線の先で、熱された塊が、グウェンダルの部隊――彼自身にも――目がけて飛んでいく。
 反射的に右手の紋章を使おうとして、が素早くそれを止めた。
 本当なら、爆音がして、グウェンダルたちのいる周囲が粉塵で見えなくなるはず。
 世界は違っても、大砲は大砲だろうから。
 だが、現実は違った。
 放たれたそれは、突然、何かに阻まれたかのように爆発を起こす。
「な……なんだ?」
 ゴツイ男は驚き、船の縁から身を乗り出して、不可思議なことが起こった場所を注視した。
 細身の輩も、動きが取れない程に驚いている。
 は、紋章が感じている反応を理解し、思わず顔が緩む。
 ――が紋章で弾いてくれたんだ。


 その当人、は軽く右手を振り、息を付く。
 タイミングを合わせて、飛んで来た力に対して壁を張るなんてこと、今までしたことがなかったが、成功して良かったと表情を綻ばせる。
「次が来なきゃいいけど。ねえルック。あっちの船、動けなくしちゃえば楽じゃないかな」
 提案する
 ルックが腰に手をやり、深々と溜息をついた。
「……面倒」
「じゃあ飛んできたら、今度はルックが弾いてくれる?」
「それも面倒。……仕方ないな。さっさとにも片付けてもらおう」
 言うと、ルックは片手を見て、もうひとつ溜息。
 先の戦乱で色々あった彼だ。
 本当は使いたくないのだろうが、一応、が危険な目に遭っているとも言えなくない状態のせいか、重い腰を上げるのが、いつもより少しばかり早い。
 ルックは右手に力を込め、
「――我が、真なる風の紋章よ」
 風をなぎ払うように、横に凪ぐ。
 途端、強烈な風が、武装船の腹を切り裂いた。
 見る間に船がお辞儀していく。
 鼻を鳴らし、ルックは右手を見た。
「やっぱり、まだ少し制御が甘いね。もう少し、軟(やわ)な攻撃をするつもりだったんだけど」
「まあ、いいんじゃない? 『切り裂き』で、形も残らず壊しちゃうよりは」
 笑顔で恐ろしいことをケロリと言い、たちの乗っている船を見た。


「今のは……今のはんだ! 何かの兵器なのか? 答えろ!」
 いかつい男が荒々しい声をあげ、の胸倉を掴んで引き寄せた。
 に聞いている訳ではない。
 魔王――この場合はに――聞いているのだ。
 兵器か。確かに、ある種ではそうかも知れない。
 細身の男は大仰に肩をすくめ、腰に差していた剣を手に取る。
 切っ先が、の首に向けられた。
 の顔が険しくなる。
「答えてもらおう。今のはなんだ?」
 無言。
 当然だが、彼らに紋章のことを言う訳にはいかない。
 眞魔国の多くの人が、たちの存在を知らないように、隠されておくべきことなのだから。
 押し黙ったままのに、細身の男の顔が歪む。
 剣を持つ手に力が入り、次にの右腕が切り裂かれる。
 とはいえ、深手ではない。薄皮が切れた程度だ。
 戦乱を越えて来ているは、こんなもので驚きもしないし、嘆きもしない。
 だが――の気配が、どんどん険しいものに変わっていく。
 は、を傷つけられることを、酷く厭う。
「……に、手を出すな」
「貴方が素直に答えれば、傷つけなどしないが」
 が傷つくことを厭うと同時に、無抵抗な相手を蹂躙するような行為を厭う。
 この男たちは、まさにの嫌いなタイプだ。
「もう少し穏便な手で、場を治めようと思ったんだが――」
「何を言っている」
「とりあえず、『人間』の行動の一端が解った。充分だということにしておこう」
「だから何を言って――」
 細身の男は、に剣を向けたままでを見る。
 その表情が突然、驚きに彩られた。
 そして一気に恐怖に変わる。
 に向けていた剣先を、今度はに向けた。
「お、お前、どうやって縄を……」
「見ての通りだね」
 先ほどまでを縛っていた太縄は、長い年月が過ぎたかのように朽ちて、床に落ちていた。
 が、生と死の紋章を使った結果だった。
 焦点を絞り、いうなれば『縄の寿命』を掠め取った、その結果。
 明らかに異物を見る目で、細身の男はを見つめている。
 ガタイのいい男の手が微かに緩む。
 は軽く息を吐き出しながら、彼の足を払いのけた。
 手は縛られたままだが、足には自由がある。
 瞬時に反応できなかった男は、次いでが――申し訳ないが――顎下を蹴り上げるのを見、世界を暗転させた。
 顎下からの攻撃は、脳天を突き、大男を簡単に伸したのだった。
「き、きさま!」
「君たちは計略というものを考えた方がいい。こんな作戦、誰がどう見たって失敗するはずだろう」
 男は吼え、剣を振るおうとする。
 は彼より先に攻撃に、手酷い一撃を加えた。
 男のみぞおちに、重い一撃を。
 息が止まり、微かな間が空く。
 よたつく男の顎に、はもうひとつ攻撃を加えた。
 ガタイのいい男がそうだったように、細身の男の世界もまた黒に染められる。
 目をぐるりと回し、遠慮なく床に身体を打ち落とした。
 それを見て、周りの仲間達が一斉に行動しだす。
 が落ちていた細男の剣で縄を切る間に、が全員伸してしまったが。

 船を押さえ、グウェンダルに合図を送った。
 暫くして、魔王よりも魔王らしいと言われる彼が到着。
 場の状況を見て、眉間を寄せた。
「……これで全員か」
「そう。莫迦らしいほど弱かった。これが陽動で、国内に不遜な輩を入れるための作戦だったとしても、オレは驚かないね」
 聞いて、グウェンダルは更に眉根を寄せる。
 の片手を握り、息をつく。
 大丈夫。問題ない。
 は苦笑し、それから直ぐにの腕の傷を見て、表情を曇らせる。
 いつの間にやら、グウェンダルも同じような顔をしていた。
「救護班に手当てを受けろ。深くはないようだが……」
「ここで大っぴらに力使って、治す訳には……いかないか。それじゃあ、お世話になってくるよ」
「……ユーリ、良ければ少し手伝ってくれ」
 未だ、『ユーリ』と呼ばれる
 まだ敵さんが近くに居るからの措置だろう。
 の手をぎゅっと握り返してから、頭を軽く振り、頷いた。
「仕方がないな。、先に戻っていてくれ。――あの2人に宜しく」
「うん」
 あの2人――とルック。
 彼らがいるであろう陸の方向を見て、は瞳を細めた。





大砲があるんかいという突っ込みはナシで願います(笑)ついでに無茶振りが増殖中ですね。
2007・9・18