互国響動 19 が仕上げた、転移のための布を床に広げ、ルックは魔力を高めた。 テーブルの上にある、彼が先頃まで読んでいた本が、力が起こした風で捲れていく。 急速に魔力が集まり、布に記された紋が輝き出した。 「我が真なる風の紋章よ――」 ルックの小さな呟きに呼応し、彼の右手と布上の紋が、一層の光彩を放つ。 「異地から祖地へ、風を貫き通せ」 ふぅ、と、周囲を渦巻いていた風が、布に吸い込まれていく。 すっかり風がなくなって、部屋は平穏を取り戻す。 ルックは面倒くさそうに息を付いた。 「出来た。ちょっと乗ってみなよ」 振り向き、とに言いながら布を示す。 「これで、テレポートできるのか?」 「だからアンタに、確認してもらおうっていうんだよ」 は苦笑し、布の上に乗る。 途端、姿が消えた。 「あっ、!」 「大丈夫。あいつにその気が在るなら、直ぐに戻ってくる」 ルックの言の通り、はすぐさま戻ってきた。 何事もなかったかのように、布の上からどいて、少々乱れた髪を撫で付けた。 「ただいま。ビッキーのテレポートみたいな感じだな」 「理屈は一緒だからな。……にしても、軽々しく真の紋章を使わせないでよね」 一応、ルックは彼自身が起こした戦争で、真の紋章に傷を付けている。 まだ回復しきっておらず、細かい制御は少々苦労する。 デカい分には底無しのような気がするが。 「も乗ってみなよ」 「どうかな……」 は不安げに、そぉっと布の上に乗る――が。 の時と違い、全くなんの反応もない。 やはり、この世界の『魔王』の力で、彼女はこの地に縫い付けられている。 いや、眞王か? とにかく厄介な話だ。 「まあとにかく、僕とは、これで楽に行き来ができる。向こうで必要なものがあれば、取ってこれるしね」 「そうだな。――さて、と。、この後の予定は?」 「ギュンターの所で、書類整理のお手伝い」 「僕もそいつに呼ばれてるから、一緒に行くんだ」 は残念そうに肩をすくめる。 「じゃあ、明日でもいいから、少し訓練に付き合ってくれ」 「うん、分かった」 床の布を手に取り、巻いて、は机に置く。 「管理はルックが頼むよ」 「…………ま、いいけど。、行こう。例の汁男が待ってるんだろ」 汁男。 確かに、ユーリやを見ると、汁だくになるから、あながち間違ってもいないが。 呆れるの横で、は失笑していた。 ルックは、ギュンターの執務室に入るやいなや、ひどく偉そうに椅子に腰を落とした。 驚くギュンターとを他所に、彼は 「ギュンター、お茶」 言い放つ。 「はっ、はい、只今!」 慌てて部屋から出て行く、この部屋の主。 は呆れ、不遜な態度の少年紋章師を見やる。 「ルックは、どこでもルックだね……」 「僕に用件があるっていうんだし。お茶ぐらいで文句は言われたくないね」 そういう問題だろうか。 暫くして、ギュンターがお茶セットを持って戻ってきた。 片手でトレイを持ち、爽やかに笑んでいるところを見ると、どこぞの給仕さんかと思う。 テーブルに一旦置いて、カップに琥珀色の液体を注いでから、とルックに手渡した。 「あ、ありがとうございます……」 「それで、僕に何か聞きたい事があるわけ」 「はい。紋章について、少し教えて頂きたくてですね」 もとりあえずお茶を飲むことにして、椅子に座る。 ギュンターも同じく座った。 「貴方がたの紋章というのは、誰しも使えるものでしょうか」 ちらりと、ルックがを見る。 面倒ごとは任せたかったのようだが、例の『転移用布』を作るので疲れたのか、少しぼうっとしている。 それが分かったのか、ルックは仕方なく息を付いて、話し始めた。 「素養がない人間には、紋章は宿せない。よしんば宿せたとしても、使えない」 「そうなんですか」 「紋章は宿されていない場合は、封印球という、球状になっている」 は目を擦り、うーんと伸びてから、ルックの言葉に付け加える。 「封印球は、地中に埋まってたり、売られてたり、魔物が持ってたりと、まあ色々」 「真の紋章以外は、簡単に取り外しが可能。――こっちの世界の、魔術ってのは?」 ルックの問いに、ギュンターは真面目な顔で答える。 いつもそうなら良いのに、とは思う。 「要素と契約を交わし、魔力を引き出すものです。ユーリ陛下は、契約せずに使えるほど、魔王としての資質をお持ちですが」 「へぇ……あの魔王がね……」 ルックは顎下に手をやり、何か考えるような素振りを見せる。 ギュンターは更に続けた。 「他に、人間が使う物として、法術がありますね」 「それって、魔術とは別物なの?」 質問したを見ながら、彼は頷く。 「ええ。対魔族用です。法石という物もありますね。魔力が高い者ほど、それらの影響を強く受けます」 「それって、私たちには効くのかな」 ルックの方を見ると、彼は頬杖をついて、片手をひらつかせた。 「さあね。でも、僕たちは魔族じゃないし。実際、法術や法石とやらの力が及ぶかは、分からないね」 「紋章術は、こっちの魔術に対応できると分かってるけどね……」 以前、火の魔術に対してが流水の紋章を使ったが、効果はあった。 法術に効果があるかどうかは、たぶん、この魔族の土地では分からないだろう。 分からない方がいい。 分かる時は、この国に何かしらの危険がある時だと思うから。 「……ルック殿」 「なに」 「貴方の本気の『紋章術』を、お見せ戴けませんか。真の紋章とやらの力を、この目で確かめてみたいのです」 ギュンターのいきなりの言葉にギョッとして、は思わずルックと視線を行き交わす。 この王佐は、自分が何を言っているのか、分かっていないに違いない。 普通の紋章でも、ルックのような高位術者は、大きな力を発揮する。 それを、本気の力で、しかも真の紋章? 冗談にしても笑えない。 ルックは表情を変えぬまま、今は手袋で隠されている紋章を見る。 「ギュンター」 「はい、なんでしょうルック殿」 「この国の一部を、野晒しにしてもいいのか」 さらりと、物凄い衝撃的な言葉を告げる。 さしものギュンターも固まった。 は苦笑するしかない。 「野晒しとは……その、随分と大げさでは」 「僕のは真の風の紋章だが、旋風で済むと思うな」 例えば、武装した兵士数百を、簡単に切り刻む。 窒息させたり、上空に舞い上げて落としたり。 真の紋章とて万能ではないが、大地を切り裂き、そこに住む多くをなぎ倒す事は出来る。 街の1つを壊滅させる事ぐらいなら、簡単に――とまではいかないが、やってやれないことではない。 「そ、そこまでの破壊力があるのですか?」 探るようにを見るギュンター。 ルックは続ける。 「との紋章は、もっと兇悪だぞ」 「と、いいますと……」 「攻撃特化型の紋章だからな」 「ちょっとルック」 声を荒げると、彼は口端を上げて笑んだ。 ――ああ、とりあえずそれ以上を言うつもりはないわけね。 「分かっただろ。少なくとも、真の紋章の力は、軽々しく使われるものではない。覚えておくんだね」 「そうします……」 国防のために使おうとでも思っていたのだろうか。 ギュンターは、がっくり肩を落とした。 書類の整備を済ませて、ギュンターの部屋から出たと入れ違いに、グウェンダルが部屋に入って来た。 「あ、グウェンダルさん」 「……お前か」 いつもよりも表情が険しい気がして、は眉をひそめる。 「何かありました?」 「――いや。ギュンターに用事がある。失礼する」 言うと、の返事を待たずに扉を閉める。 疑問に思いながら、閉じられた扉を背に、部屋への路を歩き始めた。 2007・7・20 |