互国響動 18 僕はユーリの婚約者だ。 だが、異世界人であるもまた、同じ立場に立っている。 所謂、恋敵だ。 普通に考えれば、ひどく苛立つ存在になるはずなのに、何故だかそうならない。 笑顔を向けて、近づいてきて。 は無防備で、コンラートと2人きりで出かけようとしたり、女独りで危険な場所へ出向こうとしたりする。 だから、気になってしまうのだろう。 僕が自覚する暇もないうちに、ぐいぐい気持ちの中に入り込んできて、勝手に引っ掻き回して立ち去って。 ――そんなはずはない。僕はユーリの婚約者なのだから! ユーリが、執務という名の捺印地獄に入ってしまった午前の早い時間から、僕はに乞われて彼女の部屋に来ていた。 時折質問がやって来る以外は、静かなものだ。 談笑する雰囲気でもなく、僕は紅茶を片手に本を読んでいる――のだが。 が、侍女が淹れていった紅茶に手を付けるでもなく、難しい顔をして、机一杯に広がる大判の布に、不思議な文字と図形を書いていること、既に数時間。 その間、全く休みもない彼女に、さすがの僕も思わず言った。 「お前、少しは休んだらどうだ」 それでも布面から瞳を外さぬまま、彼女は頷いた。 「そうだね……でも、もう少し」 「……一体、何を書いているんだ」 「紋章符の、少し大きい奴。ルックに頼まれて」 ルック。確か、あの生意気な子供の名だ。 は許容できるが、あいつはどうにも僕と合わない。 ユーリは、僕と奴の性格が似ているからだと言うが、冗談じゃない。似ているものか! 「あいつに頼まれて、こんな苦労をしているのか。何故、あいつ自身が書かないんだ」 「うん、ちょっと……待って……。よし」 すぅ、と羽ペンを布から放す。 完成かと問えば、まだだと言う。 はやっとの事で紅茶に手を付けた。 もう冷え切ってしまっているが、気にせず飲んでいる。 「ふー、ちょっと疲れた」 「それで?」 先ほどの会話の続きを促すと、は小さく頷いた。 「これね、私たちの国の言語なの。図形の方は、紋章術に使うもので……」 布に記された図の、一際大きなものを指で示し、は続ける。 「これは、転移魔法を示す図。周りにゴチャゴチャある小さい図の方は、五行の紋章で……って、分かる?」 「五行?」 「風、火、水、土、雷の五属性。こっちの世界にも、水の魔術とか火の魔術とかあるでしょ。うちの世界は、それ5つで五行属性って呼んでるんだ」 「ああ……なるほどな。それで、何故こんな物を書かされている?」 ルックに、無理矢理押し付けられたのではないかと訝るが、それは違うようだ。 かといって、彼女が率先してやっているようでも、ないようだが。 「役割分担って奴かな。この布を媒体にして、転移をし易くするんだけど……あ、転移ってのは、今いる場所から別の所へ、一瞬で移動することね」 「――つまり、お前たちの国に、すぐに帰ることが出来る代物を作ろうとしているのか」 は頷く。 「線を一本引くのも、魔力を載せなくちゃいけない。だから、書き終えた後に大きな力を使って、コレを機能させなきゃいけないルックに、書かせられない」 一応、納得はする。 だが……は帰れるのだろうか。 ユーリの中の『魔王』は、彼女をひどく得ようとしている。 帰れないように思うのだが。 「お前……自分が帰るために、それを作っているのか」 「いや、多分私は帰れないと思う。やってはみるけど。これは、とルック用だね」 「他人のために、そこまで必死になるのか」 まるでユーリのような奴だ。 呆れているのか、褒めているのか、自分でもよく分からない。 「こっちの国の定義も混ぜて書いてるんだけど……どうなんだろう。上手く行くといいな」 は苦笑し、息を吐いた。 「お前がこんなに苦労しているんだ。上手くいくに決まっている」 言えば、彼女は少し驚いたような顔をした。 妙なことを言った覚えはなく、驚かれて少しばかりムッとする。 「なんだ」 「ううん、ありがとう。ヴォルフラム、最近優しいね」 最初は優しくなかったとでも言うのか。 まあ……確かにその通りかも知れないが。 ユーリに近づく輩を、そうそう野放しにしておけない。 あいつは尻軽で、へなちょこなのだから。 でも今は、が害意のある者ではないと知っているから。 冷たくする必要などない。 あの、生意気な紋章師とやらには、どうにも気遣ってやれそうにないが。 ふ、との手元に視線を向けて、カップを持つ彼女の手が、思ったより荒れていると知る。 思わず彼女の手を取った。 「な、なに、ヴォルフラム?」 「………怪我をしたのか」 「へ? そんなのどこに……ああ、小さい傷のこと? 治るよ、こんなの。訓練したりすれば、少なからず傷つくし」 なんでもないことのように、は笑った。 「体の方には、治らない位の傷があるし、大したものじゃない」 「何故、そんな治らないような傷を」 「そりゃあ……戦争の傷だもの。いくら、真の眷族紋章を持っていても、実際は怪我をするよ。最初の頃は、経験もなかったしね。紋章のおかげで、たいていの傷は治っちゃうけど」 言って、彼女は微笑んだ。 ――何故、そんな風に笑っていられるんだ? 「お前は、女だろう! 何故身体に消えぬ傷を負ってまで闘うんだ」 「この国では、女の人は闘わないの?」 「そういう訳ではないが」 「だったら、今のは愚問って奴だよ。多くの大事なものを護るために、必要だから闘った。ただそれだけ。この国で、女の人が闘うようにね」 彼女は、真実、戦というものを知っているのだろう。 僕が知らない多くの事柄を、恐らくは理解している。 の手は暖かで、だけれど、多くの苦難を乗り越えてきたに違いない。 「お前の祖国は、幸福ではなかったのか」 手の傷に指を這わせながら、問う。 細かい傷だ。そして同年代の女より、ずっと皮膚が硬いように思う。 それでも、女性らしい柔らかさは持ち合わせていたが。 黙っているに視線を向けると、彼女は難しい顔をしていた。 「何も知らなければ、幸せだったかも知れないね。傍らに転がる屍も、視界に入らなければ認識できない」 「国の腐敗に気付かなければ、幸福だったということか」 「それも、いつまで続いたか分からないけど」 もし気付かなければ、彼女は敵対勢力に討たれていたかも知れない。 そうと思えば、苦労してもここにこうして居ることの方が、いいのではないか。 は僕のしたいように、手を弄らせていながら、窓の外を見つめて言う。 「いい国だよね、ここ。昔は争いがあったみたいだけど……過去に学び、未来に通じることで、ユーリはいい王になれるから」 人間は嫌いだ。 国土を荒し、礼儀をわきまえず、ただ欲しいものを貪る奴らだから。 ――そういえば、も人間だったな。 不思議なもので、全くそんなことは気にならない。 はでしかないからだ。 「過ちを犯さぬよう、僕たちが協力してやるんだ。いい王にならないはずがない」 「うん、そうだね。――あれ?」 は違和感に気づいたのか、僕の手が触れていた部分を注視する。 そこにあった薄い傷は、綺麗になくなっていた。 気取られぬように治療をかけていたのだが、気付かれてしまったらしい。 嬉しそうに微笑む。 「治してくれたんだ。ありがとう」 「べっ……別に、こんなのは大したことじゃないからな。女の身だ。もっと自分を大事にしろ」 言い放って、手を放す。 温もりが離れていくのが、妙に寂し――くなんてないぞ! 「ほら、さっさとその布を仕上げてしまえ!」 「あ、ああ、そうだね。じゃあ、もう少し頑張るよ」 は羽ペンを持ち、インクをつけて、また細かく図を描き出した。 僕は彼女の手元を見、鼻を鳴らして椅子に深く座る。 もし今、が危険な目に遭いそうになったら、僕は前に出て護ってしまうだろう。 彼女にこれ以上の傷を、与えたくない。 「……これじゃあ、ユーリを浮気者だと罵れないな」 「は?」 「いっ……いや、なんでもない! さっさと続けろ!」 「うん」 きっと、気の迷いだ。 僕はユーリが好きなのだからな!! ヴォルフラム側でござい。恋愛ってyり友愛だと思う。 2007・7・10 |