互国響動 17



 向かい側で難しい顔をし、本を読んでいる
 紙を捲る音だけが場を支配する。
 ふと、の視線が私に向いた。
「グウェンダルさん、私、邪魔かな」
 珍しくそう聞いてきたのは、私の羽根ペンが紙を掻く音がしなかったからだ。
 彼女を見ていたためであり、だからといって邪魔だという事ではない。
「……そんな事はない。気にするな」
「そぉ? ならよかった」
 にこりと笑みかけ、また視線を本に戻す。
 私もまた、紙に視線を戻した。
 もそうだが、初めの頃は、長い滞在になるだろうとはいえ、いずれは自国に帰る客人なのに、何故そのようにこの眞魔国を学ぼうとするのか、さっぱり判らなかった。
 彼女たちは眞王の力で会話に不自由はないが、文字が読めず、私の部屋にある地図の地名すら判別不能だった。
 それから直ぐ、は勉強を始めた。
 後から来たも、同じように。
 学ぼうとする事は好意的に見えたが、その理由が分からず、以前、に聞いた事がある。
 ――何故、国の者でもないのに、そのように必死に学ぶのだ、と。
 彼女は微笑み、言った。
 ――だって、何があるか分からないでしょう?

「……グウェンダルさん?」
 声をかけられ、はっとする。またも手が遊んでいたようだ。
「具合でも悪い?」
「いや。お前の事を考え――ゴホン。なんでもない」
 まるで『お前を好いている』とでも言わんばかりの言葉だと気付き、私は口を噤んだ。
 誤解を招く発言はしない方がいい。
 仮にも、魔王の婚約者だ。
 ふと、彼女が脇に置いている武具に目が行く。
 今は2つに折られているそれ。
 鋭利さは全くない棍。彼女は、あれで闘う。
 実戦したのは見た事がないが、と共に訓練している様子は見た事がある。
 舞うような、けれど鋭い攻撃だった。
「それより、お前とは兵士の訓練所に足を運ぶそうだな」
「うん、たまにね。最初は皆警戒してたけど、最近は仲良くしてくれるよ」
「何故、兵と訓練を?」
 は本に付箋をつけ、閉じて、膝の上に置いた。
 私はペンを持ったまま、話を続ける。
「お前達は王に――つまり国に護られるべき客人だ。先日のように、戦いに借り出すべきではないと、ユーリにも言われている。話は行っている筈だが?」
 もし、先日のような争いがあるという理由で、兵士と訓練しているのなら、それは不要だという意味だった。
 しかし彼女は首を振る。
「そうは言っていても、本当に戦いから逃げられない時もあると、私たちは知ってるから。それに、身体を鈍らせないためでもあるし」
 言って、は落ちてきた髪を耳にかける。
「現状の兵士の強さで、この国の大体の兵の強さが判る。それを基本にして、相手の強さが量れる。闘う者の大よその力が分かっていれば、血を見る相手か、そうでないかも判る」
 気絶させて済む相手か、そうでないのか。
 逃がす事で、後の脅威になるか、ならざるか。
 自分たちが闘う事態になった時のため、知るべき所は知っておく。
 はっきりとした口調で言うの瞳は、戦いという物を知っている。
 多くの死線を越えてきた者の目だ。
 自分より遥かに年端の行かぬ、未熟な者の目に映るその力に引き込まれそうになる。
「……行動力、思考、危険認知。魔王がお前を選ぶ理由が、少し分かる気がするな」
 顎下に手をやって唸ると、は目を瞬いて後、苦笑した。
 途端に戦鬼の彩が抜け、子供のような面に。
「私の一連の考え方は、と一緒に在ったからだよ。凄いのは、の方。私じゃない」
「それでもお前は多くを学んだのだろう? ならば誇って良いのではないか」
「闘いに関しての力で、誇る何かがあったって、私は嬉しくないよ」
 本心からそう思って言っているらしい言葉。
 彼女は続ける。
「凄いのは、野畑を耕して実りを得る人だったり、家庭を守る母親だったり、そういう人たちの事だと思うよ。ユーリには、そういう人たちを護る王様になって欲しいな。私が知ってる、国を護る人たちみたいに」
「『国民と大地を、血肉と思え』――そう、ヨザックに言ったのだったな」
「あ、聞いたの? ヨザックさんは、グウェンダルさんの部下だったっけ……」
 ああ、と頷く。
 グリエから、の言葉を聞いた時、心底感心した。
 国民や大地を血肉と思え。
 兵士の声に耳を傾けよ。
 民の声に耳を傾けよ。
 それらは、紛れもなく正しい事柄だったからだ。
 彼女が自分の側に立って、支えてくれたら――と、柄にもなく思う。
 ――馬鹿な。は魔王の婚約者だ。
 頭を振る私を、は不思議そうに見た。
「どうかした?」
「いや……」
 書類に目を落とすと、が本を開く音がした。
 集中する事が、何故だか難しかった。



「あっと、いたいた、!」
 丁度、ゴッドファーザー……じゃない。グウェンダルの部屋から出てきたを、大声で呼ぶ。
 はこっちに気づいて、目を瞬いていた。
「ユーリ。今日はどうしたの。仕事終わった?」
「ああ、早めにカタがついてさ。で、一緒にお茶でもどうなーと思ってさ」
 ナンパ君みたいな台詞だと気付き、少々恥ずかしくなる。
 おれは慌てて言葉を注ぎ足した。
「いっ、いやその、忙しいとか、嫌だとかなら、いいけどさ!」
「ううん、大丈夫だよ。それじゃあ……ここからなら、私の部屋の方が近いね。いい?」
「そう、だな。うん、そうしよう」
 おれは先を行こうとする彼女の横を陣取り、歩き出した。

 付きの侍女さんがお茶を運んで来てくれて、深くお辞儀をしてから部屋を出て行った。
 残ったのは、おれとだけ。
 女の子と2人きりで緊張するかと思いきや、そうでもないのが不思議だ。
「今日はヴォルフラムと一緒じゃないんだね」
「ああ。アイツなら多分、部下の訓練見てるんじゃないか?」
 どこぞの国の少年声楽隊一員のような姿だが、れっきとした武人だ。
 いつもはおれの護衛だとして、多くを一緒にいるが、彼自身の職務もある。
「なんだかんだ言いながら、あいつは凄いんだよ」
「おっと、惚気?」
 にんまり笑うに、おれは物凄い勢いでそれを否定した。
「こっ、こんにゃく……じゃない、婚約者だとかは、ヴォルフが勝手に言ってるだけだし!」
「でも、求婚は正当なものだったんでしょうに。……まあ良いや、この辺は。私も人をからかえない状況だしね」
 そう。彼女は、おれ――正確には『上様のおれ』に、求婚されてる。
 求婚した側のおれに、自覚が全くないのが問題だ。
 言葉が途切れて、はお茶を口に含みながら、窓の外を見つめた。
 おれは、琥珀色の液体が入ったカップの底に目をやってから、彼女の横顔に視線を移した。
 ――こうしてると、やっぱし普通の女の子だよなあ。
 眞魔国の超絶美形に慣れてたせいか、はどうみても普通の子で。
 それでも、確かにおれは彼女を気にしてる。
 笑顔の彼女を、すごく気に入ってる自覚はある。
 普通っぽい子だからこそ、一緒に居て楽なのかも知れない。
 上様のおれの行動は、やっぱりおれ自身の望みなのかも。
 だからって、いきなりキッ……キスしたりとか、そんなの在り得ねえけど。
 もっと、ちゃんと、好きだって言って、お付き合い初めてからだろ、そういうのは!
「ユーリ?」
「え、あっ、なんか言った?」
「いや、別に何も……。ボーっとしてるから、どうしたのかと」
 慌てて笑みの形を表情に浮かべ、おれは話題を探す。
「そ、そーだ、ってさ、武術訓練してるんだろ?」
「うん」
「今度見せてもらっていいかな」
 彼女は少し驚いた顔をしていた。
「いいけど……楽しくないよ?」
が頑張ってるの見てると、おれも頑張ろうって気になるからさ。元気補給っていうか……」
 何気に恥ずかしい台詞を吐いてるし、おれ!
 けれど確かにそれはおれの気持ちだったから、否定もできないし、するつもりもない。
 ヴォルフが聞いてたら、激昂もんかも知れないが。
 は、ふうわりと笑む。
 周りの空気ごと、優しくするみたいな笑顔。
 瞬間的に高まったおれの心音なんて、彼女は気付いていなくて。
「ユーリがそう言ってくれるなら、もう少し頑張ろうかな」
「おれも、へなちょこ魔王を返上できるように、頑張らねーとなあ」
 馴染みのない胸の高まりを無視できなくて、おれは微か、手に力を入れた。
 ――おれ、の笑みが、凄く好きだ。



グウェンとユーリな話でした。…バリ恋愛に向かうのはユーリですなあ、やはり。
2007・7・3