互国響動 6



 左頬平手打ちは、求婚を意味するところらしい。
 それでもその場にいる全員が黙っていれば、なんら問題もなく、笑い話で済む事だった。
 ――だったはずなのに。


「なんでこんなに広まってんだよーー!」
 渋谷有利原宿不利――ではなく、眞魔国魔王陛下ユーリは、頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
 自室だが、全く安らげない気分だ。
 のんびりなど出来よう筈もない。
 眞王廟から戻って数時間。たったの数時間。
 それなのに、自分が異界の客人の左頬を引っ叩き、求婚した事が城内に知れ渡っていた。
 コンラッドは口外していない。
 その場にいなかったギュンターやヴォルフラムは論外だし、が自分から言うはずもない。
 だとすると、消去法で行ったら言賜巫女のウルリーケしかなく、そしてそれは正しかった。
 ウルリーケから側近の巫女へ、そして巫女から寄付に来た貴族、貴族から部下、部下から……とまあ、流れるようにして噂(ではなくて事実)が回り、今ではすっかり血盟城を騒がせている。
 それを耳にしたヴォルフラムが黙っているはずもなく、先ほどの昼食会などは散々な目に遭った。
 彼は憤慨して、自室に引きこもっているようだが、いっそそれは在り難い。
 顔を合わせたら、そりゃもう素晴らしい罵倒の数々を頂くに違いないからだ。
「……おれ、求婚した覚えもないのになあ」
 彼自身は、に求婚したという覚えが全くなかった。
 なんとなく、掌に感触が残っている気がしなくもなかったが、それだけだ。
「か、彼女とキスしたとか……おれ、どうしよう」
 が求婚を蹴っ飛ばしてくれるのが、たぶん、彼女の体面的には一番だ。
 だけど。
 ――おれは本当に、に求婚を蹴って欲しいんだろうか?
 ふいに浮かんだ言葉に、ユーリは顔を紅くした。
「ぐあー! なんだっ、なんなんだ!? ひと目惚れかっ、おおお、落ち着け男渋谷有利!」
 はけして美少女じゃない。
 目の色を除けば、日本の同級生にいそうな感じだ。
 眞魔国のメイドたちの方が、たぶんずっとずっと美人。
 だから、ひと目惚れなんて……。
「……ないよなあ」
 でも、なんでか気になるのは確かなんだ。
 それがおれ自身なのか、記憶がない時のおれなのか、分からない。


 ユーリが悶々としている頃、はコンラッドがもって来てくれたお茶を飲んでいた。
「説明して頂けると嬉しいんですが」
 婚約だのなんだのと、さっぱり意味不明だ。
 コンラッドは苦笑しながらも説明を始めた。
「この国では、右手で相手の左頬を叩く事は、求婚の意を示す事です。つまり、ユーリ――いや、魔王は貴方に求婚をした事に」
 ちなみに、と彼は続ける。
「ユーリと魔王は、似て非なるものだ。魔王が表に出ている間、ユーリはものを覚えていない。自分が何をしたか、何を言ったかもね」
「……婚約だなんて」
 は額に手をやり、息をつく。
 こんな事がに伝わったら、一体どうなる事やら。
 彼と恋愛関係にいるというのではないけれど、諸手を上げて賛成するはずもない。
 は彼と共に在り、彼もまたと共に在る。
 それが彼らのあるべき形になっているから。
 ルックは激しく毒を吐きそうだし、は笑顔で悪気がなく凄い事を言いそうだし。
 ……………考えたくない。


「でも、ユーリと魔王は一対のものでしょう。ユーリは……ええと、ヴォルフラム君と婚約してるわけだし」
「残念ながら、側室という言葉があるからね。少なくとも、王はユーリだ。彼が決めたなら、誰も抗えない」
「じゃあ、じゃあ、ユーリが断れば!?」
「それなら大丈夫。……けど、彼にその気があればだけどね。それに……ユーリが婚約を破棄したとして、魔王はきっとまた、君との仲を結ぶよ」
 激しく落胆する言葉だ。
「どうしてかは知らない。でも、君は求められている」
「……テッドから聞いたって、そう言ってた」
 それも意味が分からない。
 何故、こんな異界の地でテッドの名前が?
 魔王が何を知っているのか聞き出したい。
 いずれ会えるとは、どういう意味なんだろう。
 考えるだけ混乱が押し寄せてきて、頭痛すら起きそう。
 混乱しきりのに、コンラッドは息をつく。
「テッドとは、一体誰の事だい? 差支えがなければ、教えて欲しい」
「僕にも聞かせてもらおうか!」
 扉を壊さんばかりの勢いで開きながら、入って来た美麗少年ヴォルフラムは、たちと一緒の席に着く。
 荒々しく茶器を使い、自ら茶を入れた。
 美しい瞳に激怒の光。
 美しい面にも激怒の彩。
 ユーリが婚約者を差し置いて、に求婚したのだから、無理からぬ事である。
 コンラッドが場を取り成すように、優しい声をヴォルフラムにかけた。
「ヴォルフラム、彼女に責はない。だからそんなに――」
「怒るなというのだろう! そんな事は分かっているっ!」
「だったら――まあいい。何を言っても、お前は納得できないだろう?」
 ヴォルフラムは鼻を鳴らした。
 その通りらしい。
「それで、テッドとは?」
 コンラッドが話を元に戻し、は言いあぐねてはいたものの――結局、事のしだいを口にした。
「テッドは、私の大事な人……仲間っていうよりは、家族だったかな。とにかく、そういう存在だったの」
「……だった?」
 ヴォルフラムが怪訝な顔をする。
 は頷き、言葉を進めた。
「彼は、特殊な力を身に宿していた。それでとある宮廷魔術師に付け狙われ、最終的に……命を落とした」
「その魔術師とやらに殺されたのか」
「そうでもあり、そうでなくもある」
 意味が分からないと、ヴォルフラムもコンラッドも首を振った。
「この世界に魔術があるように、私の世界にも魔法というものがある」
 コンラッドは顎に手をやった。
「要素と契約して力を借りるのかい?」
「少し違うよ。紋章というものを使う。私の世界は、27の真の紋章というものが創造したとされていて――」
「待て。真の紋章とはなんだ」
 ヴォルフラムが言葉を挟む。
 は眉根を寄せて、いいつぐむ。
 言うべきではない――これ以上深くは。
 けれど、いつかは言わなくてはならないだろうとも思う。
 その『いつか』が、自分に不本意な形で訪れるよりも、自ら話してしまった方がいいのでは――?
 の今の立場は、所謂居候だ。
 一宿一飯の恩、どころではないし、変に隠し事をし続けて、特にコンラッドに警戒心を持たれ続けるのも疲れるし、御免被る。
 残念ながら、嘘はあまり得意ではないと自負しているし。
 考えた末、は決めた。
 腹を割ろうと。
「真の紋章は、世界を構築したとされる、物凄く強い力を持っているもの。普通、紋章術師と呼ばれる人たちは、真の紋章のずっと下位の物を身に宿し、使うの」
 は左手の甲を、ヴォルフラムとコンラッドに見せる。
 ほんの少しだけ集中し、宿した紋章をはっきり視覚させた。
「流水の紋章っていうの。結構酷い傷でも治せる。これは、上位魔法用だけどね。紋章は全て、27の真の紋章の恩恵を受けて、世界に力を借りて、魔法を発動させるの」
 ヴォルフラムは頷く。
「成る程。それで……テッドとやらと、なんの関係が?」
「……テッドは、魔術師に狙われてた。それは、彼が真の紋章のひとつを持っていたから。そして彼は、紋章自身に命じて、自分の命を吸わせたの」
 ごくり、とヴォルフラムの咽喉が鳴った。
「………命を?」
「彼の持っていた物は、生と死を司る紋章と言われてた。とにかく彼は死に、魂は紋章に喰らわれた。――なのに、ユーリ……魔王は、テッドから私の事を聞いたと言った」
 は指を組み、豪華な装飾の施されたテーブルの端を見た。
「出来るのなら、テッドと話がしたい。いずれ会えるという魔王様の言が本当なら、私はここを離れられない。のためにも、私自身のためにも」
 コンラッドが軽く手を上げる。
 は首を傾げた。
「なに?」
っていうのは? 質問ばかりで申し訳ないけど」
「ああ……・マクドール。私の大事な人。テッドとは家族同然だった」
「マクドール……確か君も、マクドールだろう?」
「既に結婚しているのではないのか!?」
 ヴォルフラムが声を荒げるが、は苦笑して手を振った。
「違うよ。私、マクドール家に引き取られただけだから。どちらかというと家族」
「しかし……これからどうする気だお前」
 いつの間にやら激昂の収まったらしいヴォルフラムは、今度はを心配している素振りだ。
 根は良い人なのだろう。
 最も、そんな事は最初から分かっていたけれど。
「分からない。仲間達に連絡が取れればと思うけど……難しいと思う。あのさ、聞きたい事があるんだけど」
「なんだ」
「俺たちに答えられる事なら」
 は窓の外を見、それから視線を戻す。
「この世界にも、満月はあるよね?」



ご都合主義的に、坊ちゃんと恋愛関係ではなくなってます。が。ある意味物凄く濃い関係なのかも…(汗)
2007・3・20