!」
 伸ばされた手。
 必死で手を伸ばし、彼の手を掴もうとするのに、指先が触れ合った刹那、自身の身体は強い力で後ろに引かれて。
 声を出す事もできず、自分が何処かに連れて行かれるという事だけを、なんとなく理解して。
!」
 再度、名を呼ばれた。
 その瞬間に、彼の顔が見えなくなる。
 まるで暗闇に落ちたみたいだと、そう思った。



互国響動 1



 外の気温は夜に向かうに連れて、どんどん下がり調子。
 そろそろ春が見えてきているのに、日没にもなれば、暖炉に火を灯して丁度いい程。
 その暖炉から少しばかり離れた所にある大きな執務机に、少年は齧り付いていた。
 何をしているかといえば、文字練習。
 疲れているのか、先ほどから気もそぞろで、文字を書くスピードもいつもに輪をかけて遅い。
「ん?」
「どうしました、陛下」
 ふと顔を上げた少年に、側にいるカーキ色の軍服を着た、端正な顔の青年が問う。
「コンラッド。名付け親の癖に、陛下って呼ぶなよ」
「すみません、ユーリ」
 いつものやり取りで、場が少しだけ和む。
 ユーリと呼ばれた少年は、自身の黒髪を掻き回した。
「今誰か、おれを呼んだような気がしてさ」
「いいえ。特に誰もお呼びしていませんが」
 コンラッドと呼ばれた青年が、念のためにと窓から外を眺めて見る。
 しかし、なんら異常はなかった。
「気のせいだったのかな。それにしては、やけに……」
 気にしながらも、ユーリはその黒い瞳を紙面に戻した。
 だが――。
「やっぱり、なんか変だ」
 何か、いても立ってもいられなくなり、ユーリは音を立てて椅子から立ち上がる。
「ユーリ、一体……」
「おれにも分からない。けど――」
 コンラッドと同じく、ユーリも窓から外を眺めた。
 何かを見つけようとした訳ではなかった。
 だから、意図せず見つけてしまった時、直ぐには動けなかった。
「……ユーリ? どうしたんです」
「コッ……コンラッド! 人だ、人がっ、俺の部屋の下、地面っ!」
 大慌てのユーリに、コンラッドは再度窓の外を見た。
 先ほどまでなかった姿があって、少なからず驚く。
「ここにいて下さい!」
 そうユーリに言い放ち、コンラッドは急いて駆け出した。
 残されるはずのユーリは、我慢なんてしていられず、結局コンラッドの直ぐ後を追いかけて行った。


 今はベッドの上にいる彼女は、少女と女性の境目ほどの子に見えた。
 つまり自分と一緒の年頃だと、ユーリは初見で思った。
 発見した時、硬い土の上に横たわって動きのない彼女だったが、息はしていて、外傷もなかった為、ユーリの裁量で客間のベッドに移動させた。
 敵か味方か分からない者を城に招き入れるなんて、とグウェンダル辺りなどは眉間の深みを2割り増ししそうだが。
 実際、この場にいるヴォルフラムは物凄く渋い顔だ。
 いや、怖い顔の間違い。
 どこぞの王室にいそうな美麗顔は、激しく歪められていて、今にもユーリに飛びかかりそうだ。
「ユーリ! どこの輩とも知れない女を客間になどっ。お前には、王という自覚がないのか!」
「ヴォルフラム、静かにしろよ。彼女が起きちゃうだろ」
 ユーリは、ベッド脇にある椅子に腰かけたまま、しーっ、と指を立てた。
 ヴォルフラムは更に鼻息を荒くする。
 ユーリと逆側のベッド脇に立って、コンラッドは息をついた。
「しかしユーリ、確かにヴォルフの言い分も一理あります。彼女の正体が知れない」
「起きてから聞けばいいじゃん。まさかあんたは、彼女をあのまま土の上で寝かせ続けるつもりだったわけ?」
「まさか。けど、場合によっては独房に入ってもらう可能性もある」
 コンラッドの言葉に、珍しくヴォルフラムが同意する。
「間者かも知れないからな」
「可能性は低いと、俺は思うけどね……」
 コンラッドがそう言う理由を、ユーリはなんとなくだが理解した。
 この国――魔族の国、眞魔国では、黒髪は位の高い貴族にしか与えられないものだと聞かされている。
 自分は黒髪黒目の双黒で、だけどそれは日本人だからだ。
 とある理由によって、地球から所謂、異世界トリップをしてきたユーリ。
 驚愕すべき出来事はそれに留まらず、トリップした先で、貴方は魔王だと告げられた。
 紆余曲折あって、ユーリは今、眞魔国27代目魔王として立っている。
 その自分とほとんど同系色の髪を、眠る彼女は持っていた。
 瞳の色は分からないが、髪は限りなく黒に近い。茶が混ざっているが、ほぼ黒色だ。
 あえて言えば、黒茶。
 彼女がこの世界の人間ならば、高貴な魔族に類するものだと思われる。
 もしそうでないなら、自分と同じ日本人なのでは。
 そう思うと、ユーリは彼女が敵対している誰かだとは考えられなかった。
 もちろん、そのどれでもなくて、ただの魔族という可能性もあるが。
「……着ているものは、庶民のものだろう?」
 ヴォルフラムは多少気分を落ち着けたのか、しげしげと眠っている彼女を見つめた。
 コンラッドも同じように彼女を見やる。
「布地は絹――だと思う。腰には武器。といっても剣じゃないが」
「そういえばさ、中華風っぽい服だよな」
 ユーリは何に対してか頷いた。
 彼女の身に付けている服は、太極拳や小林拳とかやっていそうな感じの服だ。
 武器は机の上に置かれているが、長い棒を2つに折ったみたいなモノで。
「とにかく彼女が起きるのを待って――ん?」
「どうしたユーリ」
 怪訝な顔をするヴォルフラムに、
「いや……今、彼女の右手、光らなかったか?」
 指を示しながら言ってみる。
「魔法、かな?」
「馬鹿を言うな。もしこの女が魔族だとしても、眠ったまま魔術を使える筈はない」
「いや、でも確かに光って……」
 首を傾げて、彼女の手を見る。
 すると、また。
「……確かに光っている」
 今度はヴォルフラムやコンラッドにも認識できた。
 何かに呼応するみたいに、手が淡く光って。
 コンラッドが慎重に、彼女の右手を伏せた。
 今までは掌が上でよく分からなかったが、どうやら光っているのは甲の方。
 その場にいる3人、それぞれが彼女の手の甲を注視した。
「なんだ、この模様は」
 ヴォルフラムは眉をひそめる。
 コンラッドは冷静に浮いた紋を見た。さすがに触れはしなかったが。
「家紋……にしては……。剣ではないな、何かが鎌を持っているように見える」
 天使が、鎌を抱いているようだと、ユーリは思った。
 そっと指先を触れさせた時、彼女の手が動いた。
 顔を上げて見て、ユーリは少なからず驚く。
 彼女は目覚め、瞳を開いていた。
 その瞳は、日本人には在り得ない、恐ろしく美しい濃緑色だった。
「……日本人説は却下だな」
 ユーリの呟きに、緑色の瞳が瞬いた。


できるとこまでやろうかなーという、かなりお気楽な感じで始めてみました。
立ち消えになる可能性が大いにありますが…頑張ります。

2007・3・9